同じ世界で生きていた人が、
他界することが増えたように感じるのは、
自分が歳を取り、自分の知る人も歳を取っているからだ。
もしも今10才なら、知っている有名人の数も少なく、
身内の年令も若く、急にいなくなる怖さを
感じる機会は少なかっただろう。
子供の頃、「死」は怖かった。
親が死ぬというのは、最大の恐怖だった。
自分が死ぬというのも、想像しただけで怖くて、
よく泣いていた。
歳を取り、「死」が「他界」に変わった。
怖さが変化した。
あんなに怖かったものが、
まるで最後の儀式のように捉え出している。
こういう形だったら、こんな時期だったら、
なんてイメージしている。
長生きはしたいけれど、長過ぎるのはよくない。
身内の誰よりも長く生きるというのは、最悪だ。
自分の後始末をしてくれる人がいる間に
誰にも迷惑をかけない状態で他界する、というのが理想だ。
だいたい長生きし過ぎて、生活費はどうする?
年金は少ないし、貯金だってすぐに底をつくゾと
現実問題なんかも考えている。
"怖さ"は、他界する前後の"心配"に変わっている。
だから、高齢の身内が他界の話をした時、
「そんな縁起でもないこと言わないで」ということより、
「ちゃんと、やってあげるから」と言ってあげることの方が
優しさだと思うようになった。
この世界に生きているうちは、後悔しないように、
なんでもやってしまおうと思う。
実家の危険な照明器具は取り替えよう。
太るからって、我慢しているスイーツも食べよう。
後は…