想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

掃除ゲーム

何もすることが無く、
外出もしたくないし、本を読む気にもならない。
そんな時は、部屋の模様替えや片付け、掃除をする。

キッチンの窓は、凍っていたサッシも開くようになった。
これで空気の入れ替えも出来ると思ったが、
サッシの枠に黒カビが・・・
見たくない、触りたくない、
でも、ここをキレイにしないと
春の爽やかな空気が入れられない。
そこで、カビ取り剤などを使い、
ガラスも網戸もピカピカにした。
久しぶりに開けた窓から入ってくる空気は、
去年から部屋に淀んでいたものを押し出し、
深呼吸したくなるような新鮮な空気に変わった。

掃除が終わった後のキッチンの窓を何度も見る。
あれほど見ないようにしていた窓は、
部屋の中で、今、一番好きな部分になった。

ときどき、ゲームのように掃除をする。
家事という感覚ではなく、遊ぶのだ。
時間を1時間と決めて掃除する。
普段「埃が溜まっているな」とか、
「ガラスが曇っているな」とか、
気になっているところをただひたすらキレイにする。
1時間経ったら、「止める」というのがミソ。
残りは次回のお楽しみ。
1時間身体を動かし続ければ、
少しはダイエットになっているかもしれない。

掃除をゲームのように楽しむなんて、
ひとり暮らしならではかも。
キレイにしていく後から、汚していく人がいたら、
やっぱりただの家事になってしまうだろう。

桜待つ季節に

TVのワイドショーが扱う内容というのは、
視聴率を上げるために、TVを観ている人達が
今これが知りたい!という内容を流しているのだろう。
それを観ていると、日本人の頭は、
週刊誌的になってきたなと思う。

ジャニー氏や松本人志事件、大谷選手通訳の事件、
それぞれ大変な事件かもしれない。
でも、真実がわからないばかりに
いろんな人の憶測や批評や非難が発進されて、
ただでさえモヤモヤしているものを、
もっと、モヤモヤさせている。
春になり桜の開花が待ち遠しい、爽やかなこの季節に!

春を迎える準備を始めた。

まず、階段の掃き掃除。
アパートの階段に巻かれた滑り止めの砂を掃く。
冬の間、凍った階段で滑り落ちてケガをしないように、
下の部屋の人が巻くのだけど、
後始末は、私がする(他に誰もしないので)

次に、毛布の交換。
トトロのお腹の上で抱かれているようだった、
ニトリのNウォームと敷きパットを仕舞う。
冬の間ありがとう、という気持ち。

そして、サッシの掃除。
結露で黒いカビが出ていても、
冬の間は、凍っていて拭けなかったり、
窓自体が開かないから。

それから、靴替え。
雪道用の靴を仕舞い、夏靴を出す。
車のタイヤ交換みたいなもの。
雪国の人以外は、"夏靴"という言い方はしないだろう。

この街の桜は、1ヶ月先だ。待ち遠しい。

電話に出ない

今朝、母が電話に出ない。何回掛けても。

そんな時は、悪いことしか考えない。
サ高住で何度も入居者の方を救搬していたから、
その時のことを思い出す。
倒れて起き上がれないんじゃないか、
それとも・・と思う。

昨日は、毎年恒例の女子会、
姉と三人で母の誕生会をした。
前回と同じように、昨日もまた、
母は足が痛み歩けなくなった。
公共機関を利用して街に出て来るのは、
もう無理なんじゃないかと思った。
他界した父に状態が近づいていっているようで哀しくなった。
父もだんだん歩くのがシンドクなっていたな、と。

目的の商業施設まで、歩いて行くのが無理と思い、
地下鉄を使うことにした。
エレベーターの場所を探しながらだと、
単純な地下鉄構内なのに、迷ってしまった。
母が歩けない哀しみが積もって、だんだん腹が立ってきた。
老いの哀しみは、どうしょうも無く、
そのどうしょうも無さが怒りに変わった。
今度、伯母の面会に行くときも
これからは、タクシーを使うしかないだろう。

同居したとしても、いつもべったりと
くっついていない限り、今日のようなことが起こる。
これから何度も何度も
電話にドキドキしたり、ビクついたりを
繰り返していくのだろう。

固定電話を諦めて、携帯に電話したら、出た。
珍しく携帯電話を"携帯"していた。
近所に遊びに行っていた母が、明るい声で出た。
贈ったクッキーを食べながら、
昨日の女子会の話でもお友達にしていたのだろう。

遺言書、書いてね

図書館でまた、前に読んだ本を借りてきてしまった。
パソコンに貸出データーがあるはずだから、
「前に一度借りていますよ」と
教えてくれたらいいのにと思った。
昨日は、『サラリーマン 家庭の相続』他3冊を借りた。

弟が母親に、相続の書類を準備させようとしている。
まだ元気で暮らしている母親に、
よくそういうことを言ったなと思った。
父親が他界した時、母と長男である弟が
いろいろな手続きして大変だったのは知っている。
また、去年、父親が他界した奥さんが
手続きに大変な思いをしているのを見ていて、
母に勇気を出してお願いすることにしたのだろう。

弟は、もうあんな大変な思いをしたくない、
というのもあるだろうし、
相続の書類が"遺言書"を意味するなら、
それが無いために、姉弟三人で
均等に財産を分けることや、
話し合いをすることになれば、
姉弟の関係が壊れる可能性もある、と考え、
遺言書を書いて貰おうと思ったのではないか?

財産なんて、そんなにあるわけでもないし・・
私は、相続に関して、無知だし、興味も無かった。
また「相続=親の死」とイメージし、考えないようにしていた。
でも、弟が勇気を出して動いているなら、
私も、姉として、「知らなかった」で済まされないので
勉強しておこうと思った。

この本は、初心者(?)にもわかりやすい内容だ。
読んでいくと、だんだん「相続=親の死」から
「相続=大人として知っていなければならないこと」
に変わって行った。
避けて通りたいことも、避けないで向き合うと、
受け入れられるようになるものだ。

「知らなかった」と言って、
許され助けて貰えるのは、子供だけだ。

クッキー缶の責任

65歳の誕生日が近づいている。
ハッピーバースデーというが、
誕生日にハッピー感があったのは、
17歳とか22歳・・せいぜい24歳までくらい。
50代に入ってからは、「おめでとう」と言われると
「めでたいか」と返したくなった。

20歳、30歳、40歳・・という節目の誕生日を前にすると、
必ず気持ちが重くなった。

天国に向かうエスカレーターに乗っていて、
その節目の階に降りる時、着いてしまったと思う。
でも、次の階へ向かうエスカレーターに乗ると、
次の階が近づくまでは平気なのだ。
30歳を重い気持ちで迎えても、
31歳32歳33歳…は、平気だったし楽しかったように。

65歳というのも、節目だ。
高齢者の定義が65歳以上だし、年金支給が始まるし。

節目の憂鬱さをゼロにするために、
楽しいことや新しいことをしていた。
20歳の時は、大好きな小樽へ遊びに行った。
30歳の時は、似合わないのに指輪をして出勤した。
40歳50歳60歳は、。・。・。・。

来月の誕生日を前にして、
今、クッキー缶を探している。
以前、「タイヨウノカンカン」を買って、
気分が上がったことを思い出し、
クッキー缶で、新しい節目の重い気持ちを
中和しようとしている。
今までになく重い節目を、
忘れさせてくれるクッキー缶は、
相当オシャレで美味しくなければならない。

通訳解雇

おかしなもので、
成功者に対して羨ましいと思うと同時に、
いつまでも成功者として輝いていてほしいと思う。
キレイな人にも、同じように、
いつまでもキレイであってほしいと思う。
生きていたら、そうは行かないことはわかっていても
裏表のない美談だけを期待してしまう。

大谷選手みたいな人に
合う人なんているんだろうかと思っていたら、
この人以外合う人はいないと思うような人と結婚した。
素晴らしいパートナーが出来た途端、
それまでパートナーだった人を失う。
彼は、大谷選手という特別な人間の傍で、
ただの人間だったのだろう。

人間の愚かさとか、
ずっといいことは無いという人生を見せつけられたみたい。
盛り上がっているダルビッシュとの対決の試合より、
"通訳解雇"の方に気持ちが持って行かれた。

たまたま落とし穴に落ちてしまった人を
這い上がれなくなるまで非難するようなことは、
しないでほしいと思う。
誰でもみんな落ちる可能性を持って
生きているのだから。

いいね

私が無収入になったら、
家賃のかからない実家に戻るだろう、と母は思っていた。
そうはならないとわかったら、
当てつけのように、家の価値の問い合わせを始めた。

私のアパートの周辺には、
商業施設や病院、役所、図書館、全てが揃っている。
私の暮らしはこの街にある。
老後、何も無い町の実家では暮らせない・・
と思うのは、しょうがないことではないか。
実家は、田舎でも立地条件はいいし、
丈夫で造りのいい家だから、
価値があると母は思っていた。
でも、築40年も過ぎれば、家の価値はゼロ、
土地にしか値段がつかない。
その土地も立地条件はいいけれど、所詮田舎の土地。
昔の半分だと母は嘆いていた。

先月母親が他界したばかりの義兄の実家を、
買いたいと言う人が現れたらしい。
まだ家の主がいなくなって、
一ヶ月も経っていないというのに。
田舎の町で、空き家のままというのが多いだけに
こんな良い話は無い
これで私の母の"家を売る"という考えに
拍車がかかるだろう。
でも、ちょっと待って。
母は、まだ元気で暮らしている。
いつか住めなくなる時が来ても、
それは子供に任せたらいいんじゃない?

私のことを、子供いないし、賃貸だし、
気楽で「いいね」と母達は思っている。
私に言わせれば、子供がいるし、貯金もあるから、
母達の方がよっぽど「いいね」だ。
私はいつかお金が足りなくて病院に掛かれず、
生きるのを諦めなきゃならない日が
来るんじゃないか、と思う。(それはそれで運命だ)
そんなこと、母達には言わないけれどね。