想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

早く起き過ぎた朝に

コーヒーを飲みながら静かに本を読む。
少しでも音をたてないように。
こんな、下のクレーマーさんに、気を遣う生活にも慣れた。
借りてきた本に手を伸ばす。
佐藤愛子」の文章は、やっぱり上手いなと思う。
素人の私が言うのもなんだけど。

こないだの葬儀の時に、母はコロナに感染してしまった。
今日で発症から6日め。
急変することなく、回復に向かっている。
私が毎朝、母に体温や
パルスオキシメーターの数字や体調を聞き、
LINEのグループで姉弟に連絡していた。
入力した文章は、、サ高住で働いていた時の
引継ぎ記録のようだった。
あの職場では、大変なことばかりだったけれど、
あそこでの経験は、自分の母を守るための訓練だった!
そう思うと、大変だったこと全てに、感謝したい。

(寒いけれど)今日みたいな晴れた朝に
コーヒーを飲んでいると、
今が人生で一番いい時期と思う。
現役の時は、働いている時も、求職している時も、
いつも何かに追われるように苦しかった。
また、わけのわからない他人に振り回されて、
疲れ切っていた。

今は、厳選した友人とだけ会い、
全ての時間が、自分の意思に反していない。
人は、自分の意思と違うことをすることに
一番ストレスを感じると思う。
そういう点で、今はストレス性の病気には
絶対罹らないと思う。

親族との永遠の別れが続いたこの数か月、
残りの人生を強く意識するようになった。
人生の決算期に入っている。
自分が幸せと思えると幸せなんだ、と改めて思う。
たとえ他人が、そんな暮らしで?と思っていても。

ピクニックウォーキングに行こう

本州は暑いというが、
こっちは涼しいというより、寒い。
買い置きのホッカイロを、胸の少し上部分に貼っている。
最近のルーティンは、作文→FPの勉強or読書→ウォーキング。
その中に、一週間に一回カラオケが入っている。

求人検索をすることは、無くなった。
今は仕事探しより、筋力というか
体力をつけたいと思っている。
一年以上悩まされた腰痛も、
"壁向かいスクワット"が、腰痛原因の何かに効いているのか、
最近では、どんなに歩いても腰痛も、
股関節痛もなくなっている。

ウォーキングの楽しみ方が増えた。
目的地を遠くのパン屋さんにしてパンを買い、
天気のいい日、人のいない近くの公園で食べるというもの。
こないだは、誰もいなかったのに、
遠くからご夫婦が犬を連れて歩いて来るのが見えた。
見られると恥ずかしいなと思っていると、
通り過ぎる時、ダックスフンドを連れた奥様が、
美味しそうですね、とかなんとか笑顔で言葉をかけてきた。

あの時、公園で食べる楽しさを思い出した。
もともとピクニック好きだったが、、
歳を重ねてからは、恥ずかしくて出来なかった。

昨日、30分近く歩いて行ける公園を目的地にして行ってみた。
高い場所にあるベンチに座れば、
そこから低くなっていく芝生の奥の向こうに街並みが広がる。
深呼吸をしたくなるような地形だった。
今度、途中のパン屋さんに寄ってから来よう!と思った。

あの日、ダックスフンドを連れた奥様の横にいたご主人は、
何も言わなかった。
男性の方は、シビアだと思う。
いい歳の女がひとり、公園でパンを食べるなんて、
そんな「はしたないこと」と思っているはずだ。
大丈夫、あなたの奥様は、
羨ましいと思っても、しない。

昭和の運動会

北海道では、運動会の季節。
学校行事の中ではどちらかというと、
憂鬱な方に入っていたのは運動会。

体育の時間に輝いて見える子と
教室で大きな態度の子がいて、
私は走るのが遅かったので、
どちらかというと、後者だった。
どうして遅かったのか?
運動神経が…というより懸命に走らなかったから。
頬っぺたが揺れるのが恥ずかしかったからだ。
小学生にして、すでに自意識過剰。

運動会で楽しみだったのは、
競技より、フォークダンスだった。
好きなコが近づいて来るとドキドキして、
いざ来ると、恥ずかしくて
すぐに手を繋ぐことが出来なかった。

走るのは嫌いだったけれど、
徒競走で走った後に賞品が貰えるが楽しみだった。
花模様の中に「一等賞」「二等賞」
「三等賞」「参加賞」の文字のある
赤いスタンプが押された大学ノート。
ノートは同じもの。
真剣に走っていないくせに、
一位になって、一位の先生にテントまで連れられて
賞品を貰ってみたいと思っていた。
最近では、順位を付けない学校もあるらしいが、
順位をつけない競争ってなんだろう???

いつも参加賞だったけど、
あの大学ノート、うれしかったナ。

見えない裏

ヘアカラー専門店に行った。
こういう店は、担当するスタッフが毎回変わる。
今回対応してくれた人は、初めて見る顔、
キレイで優しそうな人だった。

施術を始める前にもう1人やって来た。
以前、やって貰ったことがある人だった。
2人で施術を始めた。
右半分を前からいる人、左半分を新しい人。
前からいる人の方は、テキパキとしているがなんだか雑だ。
液体が顔にかかったり、耳カバーが落ちても何も言わない。
鏡に映った2人を見ていると、どうも、
前からいる人は、新しい人を嫌っているようだった。
右側を終えると、サッサとその場を離れて行った。
完全に客が眼中に無い態度が、とても不快だった。
もう、ここは利用しないと思った。

そういえば、こういう人いたなと、
前の職場で最後に責任者として君臨したKを思い出した。
あの人も、入居者よりも、
私の仕事のチェックにしか眼中にないようだった。
入居者からの評判もとても悪かったが、
ああいう人が居続けて成り立っている会社は、
多いんだろうなあ・・

ネットで会社や店の情報がたくさん流れているから、
調べれば、入る前に良し悪しがわかりそうなものだけど、
絶対、わからないと思う。
真実の口コミは消されている。
悪いことは、口コミさえしないだろう。
この店には、こんな人がいる、
この会社は、会社も社員も最悪だなんて、
入ってみないとわからないのが現状なのだ。
情報化時代というより、表面時代だ。

店や商品を選ぶ時は、悪い口コミのある方を選ぶ。
悪い口コミを消さないでいる店や商品は、
信じていいように思うから。

空飛ぶ車

近くの公園から、野球少年たちの
元気のいい声が響き渡っている穏やかな日曜の朝。
急に、小さくパトカーのサイレンが聞こえ、
だんだん近づいて来た。
ドクターヘリが来る!と一瞬でわかった。

近くの公園は離発着場にもなっている。
野球の試合を一時中断させて、
ドクターヘリの到着を待つのだろう。
思ったとおり、少ししてからヘリの音が聞こえだした。
飛行機の音を聞いて、
何か(爆弾でも)落とされるのでは?と一瞬でも思うのは、
遺伝子に組み込まれた記憶だろうか。

この部屋の窓から、すぐ近くを飛ぶへりが見える。
開いたドアから降りようとする人まで見える。
怖い、と思う。
高所恐怖症の人は出来ない仕事だ。

大統領でも、社長でも、学者でもなんでもない
ただの一市民(だと思う)の命を救うことに
少年達や見物している親や住民、警察官、
そして医師と看護師・・大勢の人が
関わっていることに感動する。
こういう国に住んでいることに、幸せを感じる。

ドクターヘリが浮き上がり、
電柱の少し上と思えるほどの高さを通り過ぎた。
あまりに大きくて、不思議で、
空飛ぶ車…と思った。
少年たちには、戦隊ロボットに見えたかもしれない。

空飛ぶ車が勇ましく帰っていく姿を
電柱の先端に止まった一羽のカラスも見ていただろう。

絶対、命をとりとめてね、と願った。

ゴミ拾いとピクニック

高齢者の孤立や孤独死対策として、
オシャレなカフェに集まって食事してもらう
という取り組みを見た。
発案者は、高齢者の心理や
孤独を好む人を理解していないと思った。

社交性は、大人になるつれて
変わっていくものではなくて、
根本的には、子供の頃のままだと思う。
つまり、自分から話しかけたり、
他人に調子よく合わせたり、というのが出来ない人は、
大人になっても無理しなければ出来ない。

サ高住で働いている時、
入居者の方々の若い頃が見えると思った。
いつも同じメンバーで同じ席に座り、
他人の噂話をしているグループがあったり、
他人は他人という感じで、単独行動をする人。
異性と親しくする人を陰で悪く言ったり、
やきもちを焼いたり。
高齢者の住宅のはずが、まるで学校だった、
とは、言い過ぎだろうか。

孤立している人は、人との関わりが面倒で、
一人が心地よくて一人でいるというのもある。
そういう人を無理にカフェに集めて
食事させようという取り組みは、
表面的には、孤立対策をしているようだけれど、
成功はしないと思う。

こんな方法はどうだろう。
公園や町内のゴミ拾いをして貰い、
その後、屋外でピクニックのように、
芝生に座って軽く食事をするという流れ。
協力して作業を行うことで、
見ず知らずの人が少しは近く感じられ、
その後だと、自然の中で食べながら
自然におしゃべりが始まるのではないかと思う。

長寿時代の親と子

実家には住まないと決めたのは、
将来消滅するかもしれない町では、
安心して暮らせないし、
そこに私の老後の暮らしが無いから、
というボヤッとした理由だけではない。

母は、自分の生活していた通り、
自分の子供が、引き継ぐのが当たり前と思っていて、
それをしないというのは、"親不孝"と言う。
父の月命日には、住職に来てもらっている。
都度、お布施が要る。
信心深い母は、お寺の新築時に寄付もしている。
自分が他界した時、同じように毎月、
お参りに来てもらいたいと思っている。
以前、その話で、私の年金収入では、
出来ないと言ったら、怒っていた。

また、庭の手入れも他人に頼んでいて、
その維持費もかかる。
実家に住めばそれなりの出費があるのだ。

来月、父の13回忌をする予定が入っている。
法事、法要の種類は、たくさんある。
その都度、お布施など少なくは無い出費。
母は信心深いだけでなく、
金銭的に余裕があるから、続けてこられたのだ。
同じことを、少ない年金収入の私に望まれても困る。
私の生活はどうなるんだあ!!と。

親の亡骸を放置していて逮捕された、
というニュースを見ると、
親の年金頼りの生活をしていたんだろう、
お葬式をするお金が無かったんだろう、と思ってしまう。

"生きている人優先"という考え方がある。
親孝行したい、供養したい、その気持ちがあっても、
それをするためには、"お金"が必要なのだ。
充分な財産を残してくれるなら、
親孝行も供養も実現出来るんだけど・・・・・・・・
それは、母には言わない。
元気でいるうちは、何も言わないか、
嘘をつくのが親孝行と思っている。