会いたくないと思っていると、遭ってしまうものだ。
今朝、ゴミ出しに出たら、
下のクレーマーさん親子が通路に立っていた。
外に出た気配もなかったので、
まさかいるとは思わず、驚いた。
傍を通る時、一応「おはようございます」と言ったら、
”今回は”返してくれた。
私の生活音を騒音と感じるくらい、
静寂が好きなクレーマーさん(主婦)。
親子の(夫婦のも)会話も笑い声も相変わらず聞こえない。
いるのかいないのかわからないことが多い。
そのくせ、窓の開閉音や生活音を、
気にしている感じはない。
シーンとしている時間が長い時、
留守と思って安心していると、
突然窓を開ける音がして、ドキッとする。
居たのかぁい!?と。
下から聞こえるのは、夜遅くの子供の(?)玉転がしの音、
大人なら(とくに音に敏感な)絶対出さないような
不規則な音。
いつも思うのだけど、騒音クレームを言うとすれば、
私の方なんだけど・・。
今朝は、迎えの車を待っていたようだった。
車に乗り込む時も、車が発進する時も静か過ぎて、
いつ行ったのかわからなかった。
迎えに来た人が親なら、孫に何か言うだろうし、
孫もはしゃいだ声を出すだろう、と、
それが普通と思うことがおかしいのかもしれない。
とにかく、はっきりと外出していないとわかっている今は、
安らぎの部屋。
でも、ずっと下の部屋に気を遣って生活していると、
それが当たり前になっていて、物足りない気分。
前のブログ『昭和のOL』に続いて、”慣れる”というのは、
オソロシイという話。