想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

かなしい

感情表現の言葉で、一番好きなのは「哀しい」だ。

「悲しい」は、自分の中だけで、どっぷり泣いている感じ。
「楽しい」も「うれしい」も
自分の中だけで、キャーと喜んでいる感じ。
本当のところはわからないが、
「哀しい」は、
切なさや辛さを胸に手を当てて耐える感じ。
どうしょうもなくて、そうするしかない感じ。

今年89才になる母が、
ひとりでバスに乗り、街にやって来た。
コロナ前は月に2回来ることもあったが、
最近では、2ヶ月に1回くらいになった。
こないだは、新しいウイッグを見に来た。

大勢の人の中を歩きながら、
ふと横を見ると母がいない。
振り返ると、ずっと後に
人の流れを止める母がいた。
痛い足を庇うように、ゆっくりと足を進めていた。
子供の頃、姉や弟に取られないように、
母の手を探して捕まえては、引っ張られるように
歩いていたことを思い出した。
あの頃の逞しい母と、後ろから必死についてくる母との差に、
哀しくなった。

先日帰省した時、
実家のマッサージチェアに座っていると、
弟(長男)がやって来た。
すぐに母は私に、マッサージチェアを弟に譲れと言った。
姉弟との地位の差は明らか。
母にとっては、いつまでも長男が№1。
次女の私の存在は、友人かヘルパーか!?

「哀しい」ことが多くなった。
たまには「うれしい」があってもいいのに。