感情表現の言葉で、一番好きなのは「哀しい」だ。
「悲しい」は、自分の中だけで、どっぷり泣いている感じ。
「楽しい」も「うれしい」も
自分の中だけで、キャーと喜んでいる感じ。
本当のところはわからないが、
「哀しい」は、
切なさや辛さを胸に手を当てて耐える感じ。
どうしょうもなくて、そうするしかない感じ。
今年89才になる母が、
ひとりでバスに乗り、街にやって来た。
コロナ前は月に2回来ることもあったが、
最近では、2ヶ月に1回くらいになった。
こないだは、新しいウイッグを見に来た。
大勢の人の中を歩きながら、
ふと横を見ると母がいない。
振り返ると、ずっと後に
人の流れを止める母がいた。
痛い足を庇うように、ゆっくりと足を進めていた。
子供の頃、姉や弟に取られないように、
母の手を探して捕まえては、引っ張られるように
歩いていたことを思い出した。
あの頃の逞しい母と、後ろから必死についてくる母との差に、
哀しくなった。
先日帰省した時、
実家のマッサージチェアに座っていると、
弟(長男)がやって来た。
すぐに母は私に、マッサージチェアを弟に譲れと言った。
姉弟との地位の差は明らか。
母にとっては、いつまでも長男が№1。
次女の私の存在は、友人かヘルパーか!?
「哀しい」ことが多くなった。
たまには「うれしい」があってもいいのに。