想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

真綿の中の吸い取り紙

雨の降る暗い曇り空。
光熱費を節約して、
ストーブを点けていない部屋は、少し寒い。
出かける予定のない今日は、
真綿に包まれたような安全な空間の中で、
心が尖ることも、身体が痛むことも無く過ごす。

幸せな時間というのとは違う。
嫌なもの、苛立つもの、気持ちの悪いもの、
腹立たしいもの全てが、遠くにある感じ。
自分から近づかなきゃ、ずっとこのままでいられるのだろう。
でも、また飛び込まなきゃならない時が来る。
そこに、当たり前の大人の日常があるから。

病気の夫や、ガン末期の娘の義理の親や、
成績が悪くて心配な孫のいる、姉。
妻や愛猫を失った、知人。
下の部屋のたぶん発達障害の娘がいる、家族。
どこもかしこも、憂いがあふれている。
そしてTVを付けたら、戦場だ。
震災はどうしょうもない自然災害だけれど、
戦争は人間の意志で生まれているのだから、
止められるのにと思う。
日本が支援するのも反対だ。
支援するっていうことは、
戦争に協力しているということで、
終わらないということは、
画面に映っている子供達が
死ぬっていうことではないか。

仕事をしていたら、暇な時間が無くて、
いろんなことを吸い取らなくてもいいのに、
真綿に包まれまっさらな空間の中にいる今の私は、
身近なことや、
国内のことや、
遠くの国のことまで、
いろいろな憂いを吸い取ってしまう吸い取り紙のようだ。

ずっとこの中に、居続けられはしないだろうが。