雨の降る暗い曇り空。
光熱費を節約して、
ストーブを点けていない部屋は、少し寒い。
出かける予定のない今日は、
真綿に包まれたような安全な空間の中で、
心が尖ることも、身体が痛むことも無く過ごす。
幸せな時間というのとは違う。
嫌なもの、苛立つもの、気持ちの悪いもの、
腹立たしいもの全てが、遠くにある感じ。
自分から近づかなきゃ、ずっとこのままでいられるのだろう。
でも、また飛び込まなきゃならない時が来る。
そこに、当たり前の大人の日常があるから。
病気の夫や、ガン末期の娘の義理の親や、
成績が悪くて心配な孫のいる、姉。
妻や愛猫を失った、知人。
下の部屋のたぶん発達障害の娘がいる、家族。
どこもかしこも、憂いがあふれている。
そしてTVを付けたら、戦場だ。
震災はどうしょうもない自然災害だけれど、
戦争は人間の意志で生まれているのだから、
止められるのにと思う。
日本が支援するのも反対だ。
支援するっていうことは、
戦争に協力しているということで、
終わらないということは、
画面に映っている子供達が
死ぬっていうことではないか。
仕事をしていたら、暇な時間が無くて、
いろんなことを吸い取らなくてもいいのに、
真綿に包まれまっさらな空間の中にいる今の私は、
身近なことや、
国内のことや、
遠くの国のことまで、
いろいろな憂いを吸い取ってしまう吸い取り紙のようだ。
ずっとこの中に、居続けられはしないだろうが。