想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

寂しさの濃度

昨日の夕方の空は、朝焼けのような夕焼けだった。
こないだ雷と共に狂ったように雨を降らせた空は、
別人のように穏やかな顔をしていた。
やっと私の好きな秋になった。
今年は季節が夏しかなかったみたいに、長い夏だった。
汗でねちゃねちゃの腕、ゴワゴワの髪に
ただ耐えているだけの夏だった。

太陽が沈む前の光が部屋の中に広がり、
TVも何もつけていないと、車の走る音が遠くに聞こえるだけ。
歩く人のない住宅街は静かで、寂しい、と思った。
この寂しさは、秋ということ、静かということ、
それから、"無い"ということ…
"無い"は、これまであったはずの身体的な見た目や能力、
人との関わり、夢とか目標とか。
煩わしいと感じた人との関わりも、
人生にいくつもあったはずのハードルさえ、
無くなると寂しいものだ。

美味しいお寿司やスイーツを食べてきたら、紛れるかもしれない。
いつものウォーキングコースを
いつもより長く歩いて来たら、紛れるかもしれない。
求職活動を始めたら、シビアな現実を前に
寂しいなんて言ってられなくなるかもしれない。

寂しい時、友人に電話をして話したり、
遊びに行く約束をしたりして、
すぐに寂しくはなくなったものだ、若い頃は。
今、それが出来ないのは、
家族や兄弟の健康問題などをいくつも抱えているから。
私の寂しさに付き合わせられない。
独身の私の寂しさなんて、むしろ幸せの証ではないか。

寂しさとか孤独感とか、その人の背景によって、
濃度がものすごく違う。
お寿司やスイーツで紛れる寂しさなんて、
極々薄い。