想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

カナシイ性分

「もうあなたしかいない」と私に言った入居者のMさんは、
もうすぐ数えで100才というのに、
喜怒哀楽がはっきりしていて、とても厳しい方。
渡した紙を手に持ったままだと、歩行器を使って歩くには、
歩きにくいだろうと気を利かせて
「バッグにいれましょうか」と声をかけたら、
眉間にシワを寄せて嫌悪感露わに断った。
・・・普段、散々尽くしている私に(泣)
一瞬、心がポキッと折れた。

新リーダーは腰痛持ちで数日前から
ギックリ腰が始まって辛そうだったので、
重い物を持ったり体に負担がかかりそうな仕事を
代わってやってあげた。
私自身、頸椎の手術をしている身体だし、
最近はワクチンの後遺症(?)で関節が痛み、かがむのが辛い状態。
私の退院後に、なんの言葉もなかった人に、
なんでこんなに優しくしてしまうのだろう?

でも思うのだ。
”よく気が付く”のとも、”優しい”のとも違うって。

この性格は、子供の頃からだった。
小学生の頃、いじめられている女子を助けに行ったり、
足を怪我した男子をオンブしてあげたりした。
どうして、自分のことを顧みないで、助けてしまうのか。
それは、たぶん・・・自分が優しくされたいからだ。
味方を増やしたいからだ。
つまり寂しさの裏返しなのではないかと思う。
何もしなくても、味方や守ってくれる人がいる人は、
そんなことしないのではないか。

私には、姉がいて弟がいる、という姉弟構成。
最初の子である姉や、待ちに待った長男である弟には親がいるから、
味方を作ろうとしなくても安心していられた。
中間の私は、親の愛情が行き届かなく、自立心が育ち、
外の世界で孤独にならない術を身に着けて行った。

”よく気が付く”のではなく、”優しい”のではなく、
自分のために思わずやってしまう行動。
カナシイ性分。