想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

こんなお正月に

コロナのせいで、ひとりぼっちのお正月。
私も、実家の母も。
今年は、こんな人多いかも。
そして、明日からまた普通の日常が始まる。

4時頃起きて、6時前に家を出て、
職場で朝食の対応をしながら、
給料が安いから辞めたいだのの不平不満だらけの調理師の文句を
右から左に聞き流す。
ときどき災害のように降りかかる、
リーダーには不向きなリーダーの言動に、大人の対応を強いられる。
毎日、何かしらの事件が起きて心拍数が上がり、
たまにある平和な一日に喜びを感じている、日常。

もしこの日常がなかったら、
老後の資金どころか、
生活費のやりくりに、夢も希望も無い日々が続くだけだろう。
仕事があり、とりあえず急を要する身体の不調も無く、
数人の友人がいて、実家の母も元気。
当たり前のことと思うから、幸福感が無いけれど、
どれか一つでも無い人には、
とても羨ましい今の生活なのかもしれない。

人は、無いことが続いた後、
有るようになって、幸福感を感じる。
無いことが無い人は、
幸福感を感じることが出来ない。
不幸の後にしか幸福感を感じられないとしたら、
今、幸福感を感じられないのは、
"有る"状態が長いせいだ。

有るばかりの日常は、なんて退屈でダルイのだろう。
贅沢な感覚。
だからと言って、幸福感を得たいがために、
無い状態になるのは、嫌だ。
今までに、何度も、何度も、何度もあったから。
でも、人は、無い時に、得ようとするためには、
ものすごいパワーが出るのに、
どうして有る状態を保とうとする時、
何にもバワーが出ないのだろう。