コロナのせいで、ひとりぼっちのお正月。
私も、実家の母も。
今年は、こんな人多いかも。
そして、明日からまた普通の日常が始まる。
4時頃起きて、6時前に家を出て、
職場で朝食の対応をしながら、
給料が安いから辞めたいだのの不平不満だらけの調理師の文句を
右から左に聞き流す。
ときどき災害のように降りかかる、
リーダーには不向きなリーダーの言動に、大人の対応を強いられる。
毎日、何かしらの事件が起きて心拍数が上がり、
たまにある平和な一日に喜びを感じている、日常。
もしこの日常がなかったら、
老後の資金どころか、
生活費のやりくりに、夢も希望も無い日々が続くだけだろう。
仕事があり、とりあえず急を要する身体の不調も無く、
数人の友人がいて、実家の母も元気。
当たり前のことと思うから、幸福感が無いけれど、
どれか一つでも無い人には、
とても羨ましい今の生活なのかもしれない。
人は、無いことが続いた後、
有るようになって、幸福感を感じる。
無いことが無い人は、
幸福感を感じることが出来ない。
不幸の後にしか幸福感を感じられないとしたら、
今、幸福感を感じられないのは、
"有る"状態が長いせいだ。
有るばかりの日常は、なんて退屈でダルイのだろう。
贅沢な感覚。
だからと言って、幸福感を得たいがために、
無い状態になるのは、嫌だ。
今までに、何度も、何度も、何度もあったから。
でも、人は、無い時に、得ようとするためには、
ものすごいパワーが出るのに、
どうして有る状態を保とうとする時、
何にもバワーが出ないのだろう。