職場に向かう途中、
運動しているシニア男性をよく見かけていた。
現役を引退し、家にずっといたら身体がなまるから、
運動をしているという感じ。
彼らを見て、働かなくても生活出来て羨ましい、
などとは思わなかった。
彼らから感じたのは、"途方に暮れている感"だった。
現役の頃は、仕事仕事で休みたい、
早く年金生活になって、楽したいと思っていたことだろう。
でも、華々しく現役を引退して、
肩書を無くし、一日24時間フリーな生活に入ると、
始めの内は、海外旅行や趣味を楽しめても、
それは長くは続かない。
人は、自分が必要とされるものがなければ、
自分の存在意味が感じられなくなる。
不自由な拘束された時間があってこそ、
その隙間時間に行う旅行や趣味が愉しめるのだ。
"貯金が無く生活のために働き続けなければならない"
というのは、むしろ幸せだ、と私は思う。
「ねばならない」ということが、
怠惰な自分を奮い立たせてくれるから。
もし、一生働かなくてもいいようなお金があったなら、
この自粛期間に過ごしたような、
無意味な日々が続くだけなのだろう。
私が辞めた後、職場のその部署は、修羅場と化しただろう。
たぶん二か月経った今でも修羅場だろう。
こんな大変な目に合うのは、私が辞めたせいだと
文句を言っている人が何人かいるだろう。
でも、その何人かが、辞める要因の一部でもあるわけだ。
残酷だけど、修羅場を味わって貰いましょう、と思う。
私もこの歳で、求職活動という苦労を味わうのだから。
でも、「苦労」ではないかもしれない。
この歳でも、まだ求職活動が出来るという「ワクワク感」
今度はどんな猛獣に会うだろうという「ドキドキ感」
あそこより過酷な仕事量のところが
あるのだろうかという「興味」がある。
求職活動の経験が多いと
こんな呑気なこと言えるようになっているジブンに気づく。