想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

今度はどんな猛獣に会うだろう

職場に向かう途中、
運動しているシニア男性をよく見かけていた。
現役を引退し、家にずっといたら身体がなまるから、
運動をしているという感じ。
彼らを見て、働かなくても生活出来て羨ましい、
などとは思わなかった。
彼らから感じたのは、"途方に暮れている感"だった。

現役の頃は、仕事仕事で休みたい、
早く年金生活になって、楽したいと思っていたことだろう。
でも、華々しく現役を引退して、
肩書を無くし、一日24時間フリーな生活に入ると、
始めの内は、海外旅行や趣味を楽しめても、
それは長くは続かない。
人は、自分が必要とされるものがなければ、
自分の存在意味が感じられなくなる。
不自由な拘束された時間があってこそ、
その隙間時間に行う旅行や趣味が愉しめるのだ。

"貯金が無く生活のために働き続けなければならない"
というのは、むしろ幸せだ、と私は思う。
「ねばならない」ということが、
怠惰な自分を奮い立たせてくれるから。
もし、一生働かなくてもいいようなお金があったなら、
この自粛期間に過ごしたような、
無意味な日々が続くだけなのだろう。

私が辞めた後、職場のその部署は、修羅場と化しただろう。
たぶん二か月経った今でも修羅場だろう。
こんな大変な目に合うのは、私が辞めたせいだと
文句を言っている人が何人かいるだろう。
でも、その何人かが、辞める要因の一部でもあるわけだ。
残酷だけど、修羅場を味わって貰いましょう、と思う。
私もこの歳で、求職活動という苦労を味わうのだから。

でも、「苦労」ではないかもしれない。
この歳でも、まだ求職活動が出来るという「ワクワク感」
今度はどんな猛獣に会うだろうという「ドキドキ感」
あそこより過酷な仕事量のところが
あるのだろうかという「興味」がある。
求職活動の経験が多いと
こんな呑気なこと言えるようになっているジブンに気づく。