想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

繋がらない話

読み進めるのが、苦痛だった。
時々そんな本に出遭ったりする。
知識があるのと文章が上手いのとは、
別なんだなと思う。
私がバカなのかもしれない、
理解力が無いだけなのかもしれない、とも思う。
でも、本を出そうと思うくらいだから、
広く一般の人に読んで貰いたいと思って
書いているのだろう・・だけど。

前の職場の入居者で、
業界紙のトップに長くいらした方がいた。
自費出版をしていて、何冊も頂いたが、
その方の本も、頭に何も入ってこなかった。
あの時は、読み終える優しささえ持てなかった。

昔長く勤めた会社のトップは、とても話好きな人だった。
年に4回、社員全員が集まる"会議"という名の行事があった。
1000人以上の社員の前で話すトップは、
ニコニコとして楽しかったに違いない。
トップの話だから、最初はちゃんと耳を傾けていた。
でも、聴いているうちに苦痛になってくるのだ。
主語の後に、述語が無い。
主語と述語が繋がらない。
だんだん私の頭から白い煙が出て来る。
毎回、私は、何時間にも及ぶトップの話の間、
眠ることで、脳の爆発を防いだ。
話下手の話好きは、公害だと思った。

話が上手い先生と出会うことは、最大の幸運だと思う。
高校の世界史の先生が、
「歴史とは、現在と過去との対話である」(だったかな?)
と言って始める授業は、ドラマティックで大好きだった。
大学で西洋史学をやりたいと思うきっかけにもなった。
(希望は叶わなかったが)

作文を書きながら、始めに書こうと思っていたことが、
書いているうちに、変わってしまうことがある。
人に伝えるって、
他人にわかりやすく伝えるって、難しい。
でも難しいから、作文は楽しい。
ひとりでこっそりやっているから、
誰にも迷惑をかけていないし。

ベッドの上で

今朝は、春になりかけていた景色が、
一気に冬に逆戻りしていた。
ベッドの上で、起き上がる時いつも、
予定(仕事)がなくて張り合いがないな、と思う。

辞めた職場の求人は、最近になってやっと終了していた。
私が辞めた後、人が定着しなかったのだろう。
1年が過ぎていた。
今後また求人する必要が無いように…と思う。

入所している伯母を
施設のブログの写真で見る事が出来る。
前より一層頬がこけ、痩せたように見える。
母にそのことを伝えた。
でも面会に行く話は出なかった。

母は「(伯母の状態は)歳なのだから仕方ない」と言う。
激変している姿を見たくないというのもあるだろう。
面会に行っても、喜ばれるわけじゃない、
という気持ちもあるように思う。
(伯母は認知症が少し始まっているから)
母は、もう残り少ない自分の人生を
いかに楽しく過ごすかだけ考えているようだ。

伯母の気持ちを考えるために、
髪も顔も激変した自分、
介助なしに生活出来ない自分、
ほとんどベッドの上で、
食事だけを待つ生活をしている自分を想像してみた。
そんな生活の中で、家族や友人知人の面会に、
楽しみとか、うれしいとか、そういう気持ちが
どのくらいあるんだろう。
…考えられなくて、思考がストップする。

母や伯母のことを考えることより、
今は自分のこれからの生活や
仕事のことを考えるべきなのだろう。
いずれ、今の母、今の伯母の気持ちが
自然にわかるようになるのだろうから。

本とカラオケの記録

今年に入って読んだ本は、23冊。
読書家に近づいてきた感じがする。
このまま行けば、100冊も無理ではないと
目標にしようかと思ったけれど、
過去に100冊読んだ年も、あったような??

恩田陸は、作家業をしながら1年に300冊読むというから、
やはり脳が尋常ではない。
恩田陸の作品は、作風が一定していなくて、
恩田陸と言う人が、何人もいるのではないかと思ってしまう。
このところ恩田陸ばかり読んでいたので、
ここら辺で小説を離れて、
教養分野(?)の本を読むことにした。

カラオケは、今日で253日目。
コロナで行き場所がなくなった5年前頃、
営業を続けていたカラオケボックス
ひとりカラオケなら安全だと思い通い始めた。
歌うことは、子供の頃、得意というのでもなく、
大好きというほどでもなかったが。

それだけ通っていても、
ちゃんとした指導を受けているわけではないから、
上手くなっている感じはしない。
ただ、声が出るようになった。
ただ、高い点数が出るようになった。
ただ、ストレス解消になっている。
それだけだ。
でも、いつか人前で歌わされることがあれば、
臆することなくマイクを受け取るだろう。

続けている先に、資格試験は無い。
目指している仕事も無い、というのは、気楽で飽きない。
絵も、何もかも、
こんな気持ちで続けていたならと思う。

動かない画面を前にして

数日前、久しぶりにATMに行った。
すると暗証番号は合っているはずなのに、下ろせない。
力を入れて押してみたがダメ。
(画面タッチに押す力は無関係)
別の場所のATMにも行ってみたが、同じ。
長く利用していないと、下ろせなくなるのか?

スマホの入れ替え時に、さんざん苦労したので、
いよいよ機械と相性が悪くなってきたのかと思った。
ネットで調べたら、画面に指以外が触れていると
そういうことがある、とあったので、
後日しっかり腕まくりして操作した。出来た。

昨日は、家計簿の入力をしようとしたら、
Excelが開かない。
エラーメッセージから判断して、
再起動などいろいろやってみたがダメだったので、
久々にシステムの復元をすることにした。
以前と違うタブに不安になりながら、
レジストリの復元をしています」の言葉を信じ、
いつ終わるかと文庫本を読みながら5時間待った。
結果は、失敗。

初期化するしかないのだろうか…と思いながら、
アプリケーションの削除のタブの中に、
「修復」の文字を見つけたので実行してみた。
10分もかからずに終了して、Excelが開いた。

遠い昔、パソコンを教える仕事をしていたので、
機械の操作で出来なかったり、わからない時、
プライドが傷つきイラつく。
コンピューター関連の進化は速い。
今はもう初心者レベルということを認めたくない。
典型的な頑固な高齢者になりつつある。

文字もよく打ち間違えるし、
支離滅裂な文章でも気付かなかったり。
でも、これって歳のせい?
脳と気の緩み、ということにしておきたい。今は。

春になれば

朝6時、もう明るい。
起きて何かしないともったいない、
と思うのは、子供の頃からだ。
春になり雪が消え、樹木の葉が黄緑色になり花が咲く。
モノクロの景色に色が塗られていく季節に、
私は生まれた。

誕生日が来ると、(正)年金受給者だ。・。・。・。・。
不就労所得を得る喜びと、いよいよか…という淋しさ。
早く新しい仕事を見つけて働かなきゃと、
精神的に追い詰められることの多かった日々は、
今となれば、羨ましく懐かしい。
だって、それが若いということ、現役ということだから。

本格的に支給が始まる今年度には、
通常の年金の他に『年金生活者支援給付金』が貰えるはず。
去年一年間の所得が少なかったから(^^ゞ
次年度からは、それも無くなりいよいよ
少ない年金でどう暮らして行くか、
毎日、工夫と戦いの日々になる。

でも先のことを考えるのはよそう。
先の先、その先のことを考えて安心な人なんて、
きっと1人もいないだろうから。

これからの暮らしコーディネート。
5時30前に起きる。
朝食後にカフェオレ。
作文を書く。
週に1度はカラオケに行く。
その後に小鳥の声(人工的な)を聞きながら
屋内公園で本を読む。
お金のかからない楽しみは他にも。
ウインドウショッピングやウォーキング。
月に一度(以上?)は友人と食事。
同じく月に一度は実家へ訪問サービスもどき。
部屋にいる時は、面白そうな番組がなかったら
(ほとんどそうだけど)借りてきた本を読む
描いたり刺したり作ったり…女って楽しみが多いかも。

楽しく過ごしながら、いい仕事の情報があったら、
すぐに動く瞬発力は、持ち続けていたい。

パンの雲

ソファーに座って、
青空にポッカリ浮かぶ雲を見ていると、
これが私の住む世界なんだ、と思う。

こないだ、おぞましい本に懲り懲りしたので、
蜜蜂と遠雷』の恩田陸の本ならば、
私向きだろうと、何冊も適当に借りて読んでいた。
何冊か読んだ時にうすうす気が付いた。
恩田陸も私のメルヘン脳には向かないかもと。

さっき読み終わった『夜の底は柔らかな幻』は、長編。
昨日から一気に読み終えた。
そういう意味では面白かったと言えるかもしれないが、
私はその世界から離れたい一心で読み進めていた。

超能力、骨が粉々、血の塊、死体の山・・・、
本を閉じても引きずりそうな世界だった。
昨日は、夜中に目が覚め、眠れなくなった。
前の職場の憎々しい面々、理不尽な出来事、
私は被害者だ、という思いが広がり、
昔のコンクリート事件の被害者こそが、
いやいや、今まさに戦争に巻き込まれている人々が、
理不尽な被害者の極みだとか、頭を巡っていた。

この小説は、純粋培養されたメルヘン脳の
私には、刺激が強すぎた。
こういう本やアニメや
殺戮を繰り返すゲームに親しんいる子供達の中に、
私のような脳の子供はいるんだろうか?

昭和30年頃に子供だった人の多くは、
こんな脳だったんじゃないだろうかと思う。
親や祖父母が戦争を経験したからその反動で
惨たらしさの無いものが創られ流されていたから。

人間の本質にあるものを見ないようにしていると、
「子供」と言われるかもしれない。
でも雲を見ながら、動物やパンをイメージする心は、
いつまでもあってほしい。

声が人

古い携帯電話に保存されている動画を
時々開いている。
そこに、ひ孫と映る父の姿と声がある。
その声を聞くと、
今でも実家のあの家にいるように錯覚する。
親元を離れた時期が早かったためか、
私の親は、受話器や携帯電話の中の声だ。

歳を取ると声が変わると言われる。
確かに女性は、低くなったり、ハスキーになったりする。
でも男性は、あまり変わらない人が多い。
これは男性には変声期があるせいかも?なんて思う。

外見は、好みではないが、
声で好きになるということがある。
外見は、見飽きるし、老化するけれど、
心地良い声というのは変わらない。
発する言葉も心地良いと尚良い。

大切な人が他界した時、
触れることの出来る身体がなくても、
声が聞けて、会話が出来たら
きっと喪失感は、大きくないだろうと思う。
SF小説的な発想だけれど・・・・
「お父さんより6才若かったお母さんは、
お父さんより年上になったよ。」と言ったら、
「そうかあ」と笑いを含んだ声が返って来そうだ。

「ちびまる子」の声優が亡くなって、
悲しくなるこの気持ちは、
描かれた姿がより、
声が「ちびまる子」だったから。
声が人なのだ、と思う。