想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

雪どけ

順調に春は来ない。
朝、外を見たら、大雪だ。
東京でこれだけ積もったら大災害になっただろう。
そこは雪国育ち、さあ除雪しよう♩と気軽に外に出た。
すると私より先にアイツがいた。

アイツとは、向かいの棟の住人。
賃貸にはいろいろな人がいて、
ほとんど関わりは無いのだけれど。
中には、下の部屋のクレーマーのように、
向こうから関わってくる人がいて、アイツもその1人だった。
2人共、悪い人間では無い。
たまたま私が被害を受けてしまっていた…

10年前、この部屋に入居し、
何回目かの冬に、階段や外廊下の雪を下に落としていたら、
アイツがわざわざ部屋から出てきて、
「下に落とすな!」と怒った。
そういうことが何回かあった。
今思えば、ここの2棟の住人で、
広い共有スペースを除雪し融雪構の中に落とす
という作業をしていたのは、アイツだけだったようだ。
だから、たまたま私が雪を落としている現場を目撃し、
文句を言ってきたのだ。
ここの住人は、やらない人ばかりだから、
アイツは、怒りが溜まっていたのだろう。
あの時も、引っ越しを考えた。

今日は、そのアイツと2人で、1時間以上かかって除雪した。
言葉は発しない。
過去のことがあるから、気まずいし。
でも普段は自分の"陣地"しかしないアイツが、
私の"陣地"の除雪もしてくれた。
全体の除雪を終えた時、私はお礼を言った。
アイツはもう前のような怖い顔をしていなかった。

なんだろう、その時思った。
前の職場の憎々しい顔ぶれを思い出し、
もっと長く一緒にいたなら、あの人達とも、
いつかこんなふうに"雪どけ"が、訪れたのだろうか、と。

後のことはヨロシク

同じ世界で生きていた人が、
他界することが増えたように感じるのは、
自分が歳を取り、自分の知る人も歳を取っているからだ。
もしも今10才なら、知っている有名人の数も少なく、
身内の年令も若く、急にいなくなる怖さを
感じる機会は少なかっただろう。

子供の頃、「死」は怖かった。
親が死ぬというのは、最大の恐怖だった。
自分が死ぬというのも、想像しただけで怖くて、
よく泣いていた。

歳を取り、「死」が「他界」に変わった。
怖さが変化した。
あんなに怖かったものが、
まるで最後の儀式のように捉え出している。
こういう形だったら、こんな時期だったら、
なんてイメージしている。

長生きはしたいけれど、長過ぎるのはよくない。
身内の誰よりも長く生きるというのは、最悪だ。
自分の後始末をしてくれる人がいる間に
誰にも迷惑をかけない状態で他界する、というのが理想だ。
だいたい長生きし過ぎて、生活費はどうする?
年金は少ないし、貯金だってすぐに底をつくゾと
現実問題なんかも考えている。

"怖さ"は、他界する前後の"心配"に変わっている。
だから、高齢の身内が他界の話をした時、
「そんな縁起でもないこと言わないで」ということより、
「ちゃんと、やってあげるから」と言ってあげることの方が
優しさだと思うようになった。

この世界に生きているうちは、後悔しないように、
なんでもやってしまおうと思う。
実家の危険な照明器具は取り替えよう。
太るからって、我慢しているスイーツも食べよう。
後は…

新しい段階

病院に行っても治らなかったものが急に治ったので、
その理由を考えている。
もう痛くないんだから結果オーライ、とはならない。
どうして治ったのか知りたい。

腰痛知らずの私が、初めて腰に痛みを感じたのは、
3年前の卵巣腫瘍の手術前、MRI検査の後だった。
腰が痛くて台から起き上がれなかった。初めてだった。
あの時期、左足膝上に痛みがあり、2年以上続いた。
もちろん、整形外科で異常は見つからなかった。
腰痛がひどくなってきた去年、左足膝上の痛みが消えた。

腰痛と共に両足に柔軟性が無くなった。
そのせいか、凍った場所で転倒し、右手首を強打した。
完治するのに1ヶ月はかかった。
その間に腰痛が消えて行った。
右股関節の痛みや右の首懲りが、新たに発生した。

足裏のツボ押しと、股関節回しの体操をしているうちに、
脚が軽くなり、以前と同じように動かせるようになった。
今は、右の首懲りだけが残り2か月間続いている。
これもいつか消えて行くんだろう・・・・・

人間の身体は、何か所も一辺に痛みを感じることが
出来ないというのを読んだことがある。
この約3年間の身体の症状から考えると、
そういうことだったのかな?と思っているが。

卵巣全摘によるホルモンの関係でいろんな症状が
出たとも考えられるし、
職場のストレスが原因とも考えられる。
もう一つは、第二成長期のように、更年期にも、
"第二更年期"というのがあるのではないかということ。

簡単に"高齢者の身体"になるわけではないのだろう。

うれしいこと

朝起きてすぐに体重を測る。
0.1㎏でも減っているとうれしい。

テレビショッピングで、値段が当たるとうれしい。
元々の価格からこれになります、と出る前に予想する。
だいたい当たる。

『THE TIME』の脳シャキクイズで、
安住さん達より早く答えがわかるとうれしい。

アプリのクーポンや特典を利用して、
ポイントを重ねてゲット出来たらうれしい。

階段を以前のように軽やかに降りられてうれしい。
一年続いた高齢者の身体はどこに行ったのか?

クリームシチューや寄せ鍋を、
市販の物を使わなくても作れてうれしい。
(注:私は料理が苦手)

髪を乾かした時、抜け毛が少なくなっていてうれしい。

道路のアスファルトの面積が、
広がっているのを見るとうれしい。
春が近い。
雪の無い乾いた道で、ウォーキングが出来る日が近い。

日々、けっこううれしいことってあるものだなあ。

奇跡を起こすメソッド

たぶん、私はこの街一番の早起きだ。
キッチンでそおーっとそおーっと準備して、
コーヒーの上に、お湯を数滴落とす。
広がる香り。コー匕ーは味よりこの香りがいい。
至福の時だ。

辞めてから、身体の様々な不調に悩まされ、
病気なのか、老化なのか、
わからないまま過ごしていた。
最近になって、足の柔軟性が戻り、
腰痛が消えていることに驚いている。
起床時の原因不明の軽いめまいがあるだけだ。

人間の身体ってホント不思議だ。
ストレスが原因だったのだろうか。
働ける状態じゃないのに、働こうとする心があり、
脳が誤作動を起こしたのだろうか。

脳梗塞で入院した時に、同室の人を見て、
いろんな症状があることを知った。
脳の誤作動で4本の手足が勝手に大きく動く人、
若年性認知症で、いろんなことを忘れていくのに、
2週間後に会いに行った私のことは覚えていた人とか。
原因が脳にあると、どんなに医学が進んでも、
諦めるしかないのだろうか。

義兄のパーキンソン病を思うと、くそぉっ!と思う。
なんで!なんで!と思う。
それは誰よりも本人が思っているだろうけど。
原因がわからないで発症するなら、
突然治ることもあるんじゃないの?と思う。

私の左手が、術後2年経っても治らなかったのに、
術後7年の年の、父が他界した日に治った。
そんな奇跡を経験した。
だから、義兄も…と思っている、思いたい。

世の中にどれくらいの人が奇跡を期待して待っているだろう。
奇跡を起こすメソッドは、経験した私にもわからない。
ただ、奇跡的に治ることは絶対ある、とだけ言える。

味噌ラーメンと本屋さん

歯医者で麻酔を使って治療した後、
昼食にラーメンが食べたくなったので、
材料を買って帰って来た。
麻酔が切れていない口では、お店で食べられないし、
それに味噌ラーメンは、自分で作った方が安いし美味しい。
出来合いのものを買ったり外食をする時の基準は、決まっている。
自分では出来ないくらい美味しい料理かどうか。
(注:私は料理が苦手)

ラーメンを食べながら、
ネットで、国が書店を無くさないために
支援をするというニュースを見た。

読書家というのではないけれど、
子供の頃から図書委員をしたり、司書の資格を取ったり、
本とは縁がある方だったけれど、
昔ながらの実店舗としての書店は、
いずれ無くなると思っている。
でも、街から本屋が無くなるのは、
本離れを意味することではなく、
昔とは違ういろんな新しいものが出来たからだ。

私が実店舗で買うのは、稀だ。
手元に置いて置きたいと思った本だけしか買わない。
すぐほしいんじゃなかったら、ブックオフで買う。
新刊も安い値段で買える。
古くてもいいなら、図書館で借りて読む。
自宅に保管スペースが要らないのもいい。

本屋の店員さんは、必要だろうかと思う。
本についての情報は、ネットで自分で調べられる。
無印もユニクロもセルフレジになってきている。
本屋さんこそ、セルフレジでいい。
万引きを防ぐために、見張り番的な人は必要だけれど・・
国が昔の形を守ろうとして動き出しても、
本質的なことが見えていないと
無駄に税金を使うことになるのではないか。

自分で作った味噌ラーメンは、美味しかった。
でもやはり、唇の半分の感覚が無いと大変だった。
唇がちゃんと閉じられるかも、確かめておかないと。。。

別の世界

今年の抱負"歳数読書"の月目標は、5冊。
今日で今月2冊をクリアし、いい調子。
文庫本1冊読むのに4~5時間というのが私のペース。
読み終えて本を閉じると、
本の中の世界から、現実世界に戻った気になる。
カラオケボックスで歌い続けた後
時間が来て、ドアを開けて出る。
その時も同じような気持ちになる。

別世界と言うほどではないけれど、
現実世界(日常)から離れる時間というのは、
"暗闇"に引っ張られないために必要だ。
同居している人がいなく、
ひとり黙々と掃除や洗濯をしている時、
過去の楽しいことより、腹立たしかったことが
次々に思い出されてきたりする。
専業主婦で、自宅に独りで過ごす時間の多かった友人は、
子供の頃に遡って、恨み辛みを膨らましていっていた。
独り、同じ日常の中で過ごしている人には、
不幸の種が自然発生し大きく育って行く。

弟(義兄の)は、「辛いのは病気をしている本人(義兄)だ」と言い、
母は、「(自分の娘)姉ちゃんは大変だ」と言う。
でも、どちらも同じくらい大変なのだ。
だから、二人には、時々日常から離れた時間を
作ってほしいと思う。
ずっと家にいて、その日常から離れないでいると、
"暗闇"に引っ張られるから。

でも姉に日常から離れて貰うためには、
義兄に介護サービスの利用を勧めることになり、
そのことを義兄がどう捉えるかという問題がある。
病状が悪化し、これから深刻になってくるだろう介護生活が
辛くならないように、出来れば、割り切って
楽しく(?)送れるようになるといいと思うのだが、
そこの所が、夫婦の片方が要介護となった時に
難しい問題としてあるのは確か。