想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

寂しくチョコレート

GODIVAの小箱、
昨日でお別れのコンシェルジュのSさんから頂いたもの。
彼女は、兼務先のM住宅ですれ違ってばかり、
一緒のシフトになることが無く、去年10月に漸く会えた。
欠点なんてあるのか?と思うほど、
優しい、気遣いの出来る人。
入居者の方から彼女のことを聞いていた。
お互い会いたいと思っていたけれど会えなくて、
やっと会えたのは、私が退職を考え始めた時。

M住宅のキッチンのパートのMさんとも、
気が合い、彼女に会えるシフトの時は、
穏やかな気持ちで楽しく働けた。
プレゼント(お菓子)の交換もしたりして。

入居者の方を含めて、合う人、合わない人、
いろんな人がいる。
辞めることでブツッと切れてしまう繋がり。
私の日常から消える人々。
それは、寂しいだけじゃなく、
一方で気が楽、ということもある。
毎日毎日、体調を気にしなくていい。
裕福で元気とはいっても、高齢者。
自分の母親を心配するように、
70人以上の入居者の方を思っていると、
気が休まることが無かった。
そこまで真面目に取り組む必要は無かったかもしれない。
仕事と割り切って、
適当にやっていれば良かったのかもしれない。

長く同じところで働いている人というのは、
休み休み働くのが上手な人だ。
私のように息をするのも忘れるような働き方は、
苦しくなって働き続けられなくなる。
その結果、転職回数は増え・・
また、新たな場所を探そうとしている私(^^ゞ
性分は変わらない。バカだなと思う。

悪人は誰

職場で、電気の検針票を見て、
あまりに金額が高かったので、
無駄に使用していたのかな?と思って、
前年度の同月と比較したら、むしろ使用量は少なかった。
なのに、この料金。
早速、申し送りに書いた。
こういう数字は、現場が上げないと上の人は気づかない。
・・・この感覚は、パートには不要なのかもしれない。
過去に少しは経営に関わった仕事をしてきたために
経費の無駄遣いが気になってしまうのだ。

新しい責任者Kは、相変わらず、
どうでもいい事務所内の飾り付けや、
掲示物の貼り直しの方に目が行くようで、
片付けと井戸端会議が好きな主婦。
彼女にとってみたら、
私がやることは出過ぎていて目障りなのだ。
入居者に気に入られることさえ、腹立たしいようだ。
「パートなんだから、パートのことだけしていればいい」
入社してまだ仕事が出来ない時に
そう怒鳴るような人に、ここのサ高住は守れるだろうか。

出勤する時、なぜ職場を失うことになったか、
失わされたのかと思う。
(自分が退職を決めたのだけど)
Kが入社しなかったら、きっと身体は辛いけど、
勤務し続けていただろう。
私を弾き出したKは、前任者のNの
逆恨みを引き継いで、私に晴らしたということだ。
でも、誰も悪人じゃないとは思う。
ただ、社員教育も無しにただ
頭数で埋めるように人員を配置し、
働く人の心の中に、歪を生じさせ…
人間関係を悪くさせ…
次々と退職者を出す・・という会社なのだと思う。

無難な理由

社長がお客様を事務所で待っていた。
(社長自ら営業というのは、情けない)
コンシェルジュ業務をしていると話しかけられ、
私の退職について、残念がってくれていた。
ちょっとうれしかった。

退職の本当の理由を知っているのは、
会社の幹部・管理職では無く、
その人の近くで働いていた人というか、
気軽になんでも話していた相手だけだ。
と思ったのは、私と同じ時期に入社し、
去年の春に辞めた調理師(社員)の話を聞いた時。
調理の上の人の間では、彼は、
"自分のやりたい仕事(作りたい料理)が出来ないから"
ということになっているらしい。
確かに、高齢者の食事は、
塩分や料理の堅さなど普通のレストランとは違って制限が多い。

でも、退職理由がそんな高尚なことではないことは、
いつも彼の不満を聞かされていた私は知っている。
彼は、作業量に見合わない安い給料、
彼に対する態度の悪いパート、
会社の対応全てに腹を立て、
我慢し切れず辞めたのだ。
真実は、調理のパートの男性が一番知っているだろう。

社長は、私の辞める理由を遠回しに聞いてきた。
「腰を悪くして…」と言った、嘘ではない。
でも、身体をちょっと壊しただけで、
退職する人なんているだろうか?
社長は、責任者Kが不要と判断し剥ぎ取った備品の跡を見て、
私に聞いたので「Kが取り外しました」と答えた。
自分が不要と思う物を勝手に片付ける、捨てる。
彼女の判断や優先順位はあまりにズレている。
薄気味悪い、こういう人が責任者の職場で働き続けるのは。
それが退職理由の本音。。。
いずれ、皆気づくだろう。

苦痛な読書

本来楽しいはずの読書が、苦痛な時がある。
全然面白くなくて、退屈で、
でも途中で止められないし(性格的に)
左手の紙の量が減らない時。
返却日は昨日。
予約している人がいるから、延長も出来ない。
昼の1時に仕事が終わり、
昼食も取らずに図書館に行き、
閉館時間の17時までに読んでしまおうと思った。

『コロナ黙示録』という本。
一昨年の末から、チームバチスタのシリーズにはまり、10冊位読んだ。
田口医師、白鳥さん、速水先生に会いたくて、
読み漁っている感じ。
この本にも登場するということで、楽しみにしていた。
・・・・でも、読み始めからなんか変だ。
なんだろう?
これはノンフィクション?
安倍総理のあの事件を主に、
フィクションとは思えない内容。
タイトルにコロナが入っているけれど、なんか違う。
とにかくツマラナイ。
1ページ1ページ捲っても捲っても、
左手に残っている紙の厚さは変わらない。
そんな苦痛な時を3時間、
図書館の片隅で過ごし、閉館30分前に漸く返却した。
面白くないからと途中で投げ出せない性分は、
損だなと思った。

お腹は空くし、首は痛くなってくるし、
なんか得たものがあっただろうか?
あったとすれば、途中で投げ出さなかったという、小さな達成感だけ。
帰り道、野菜屋さんの豪勢なおかずセットを持ったまま、
凍った駐車場で前のめりに転んだ。
無理は良くないなと思った。
途中で止める潔さはやっぱり必要なのだ。
(もうすぐ会社を)辞める、で良かったと改めて思った。

消えた名医と絶品カレー

年末近くに、例の歯医者に行った。
玄関から診察室まで、見慣れた室内。
ところどころ前とは違ったところもあるが、
ほぼ前のまま、働く人だけが違っていた。
新しい主となったその先生に、
「ここの前の先生はどうされたんですか?」と
思い切って聞いてみたら、「辞められた」と言い
「お元気なんですか?」聞くと、
「辞めた後、二三回は会ったけど」と言われた。

今日、二回めの受診(クリーニング)。
院内の汚れや歯科衛生士の対応の仕方や、
もちろん先生についても、前と比較ばかりしていた。
診察台に座った時、画面にいつも
私のレントゲン写真があったな…とか、
口を濯ぐところも、キレイだったな…とか。
まるで、山口百恵の『イミテーション・ゴールド』のよう。

見慣れた窓から見える景色の中に、
ファミリーマートがあり、
今日は、あのカレーとあのスイーツを買って帰ろう!と思った。
コンビニスイーツで感動するほど美味しかった"スフレ・プリン"
そして、食べた瞬間、なんだこの美味しさは!!しかもこの値段!
と驚いた"こだわりカレー"
ファミリーマートだけが通勤途中になかった。
この歯医者の斜め向かいにはあった。
病院通いの面倒くささを、ファミリーマートに寄って、
こだわりカレーやスフレ・プリンを買う楽しみに替えていた。

前の先生が治療してくれた歯は、
先生の教えを守って手入れし、まだ部分入れ歯にする必要がない。
あの先生が、1年半かけて残してくれた歯は、
「将来、根元に黒い影があっても治療しないように。それが僕の遺言」
と言っていたことを思い出す。
"遺言"なんて変なこと言うなとあの時思った。
伝えられるのなら、伝えたい。
先生は本当の名医、ありがとうございました、って

あるカウントダウン

あと100日、あと10日、あと・・
楽しいイベントを待つ時、カウントダウンする。
私の手帳に登場しているカウントダウンは、
責任者Kと重なるシフトの残り日数だ。
あと何日我慢したらいいのか、
(彼女とは)残り7日となり、楽しみでしょうがない。

彼女は若い頃から(子供の時から?)
気に入らない人の物を陰で捨てたり
隠したりしていたのだろう。
自分の思いを押し付け、
他人のことなど考えられない人なのだろう。
年末年始の挨拶なんてもちろんしない。
日常的な挨拶さえしない。
私以外の人には、過剰な位にしているかもしれないが。

私がM住宅の兼任を終え、
メインのK住宅に戻ってきた時には、
多くの置き場所が変えられ、物が捨てられ、
あちこちにテプラが貼られていた。
犬がマーキングするように、自分の陣地と言わんばかり。
重要な入居者のフェイスシートのデータは、
新しいパソコンへのデータ移動に失敗した後、作り直す気配も無い。
申し送りも壁に貼られたメモも自分がわかればいい内容。
口頭で説明することはない。
これでは、入居者の安全を守ることも
充分な対応も出来ない。
彼女が責任者として君臨しているK住宅ではもう
責任感や愛着を持って働くことが出来ない!

入居者は、高級感のあるレストランで食事を取る。
コンシェルジュは、その時はホールスタッフとなって対応する。
上品に静かに食事している後ろ姿を見ている時、
元気に食事されている姿を見ている時、幸せを感じていた。
(介護度が増し転居されたり亡くなったりする方がいるから)
その景色を見ながら、(もう見守り続けられない)と
最近、感傷的になっている。
見守っている、なんて思い上がりかもしれないけれど。

サ高住でカラオケ再開

「来年もよろしくお願いします。」と彼女は言った。
遅番専門で一年先輩のMは、まだ私が辞めることを知らない。
「よいお年をお迎えください。」と私は言った。
平和に平和に職場を去って行こうしているのは、
優しさからでは無い。

コロナでずっと止めていたカラオケを
昨日から私のメインのサ高住で再開することになった。
細かい指示や機器の説明も無しに、
ポンと責任者Kから丸投げされたので、勝手に判断して進めた。
私の判断基準は、入居者にとっていいかどうか。
Mやほとんどのコンシェルジュは、自分が大変かどうか。
あくまで仕事として、余計な仕事を
増やさないようにしているのだ。
言葉では、会社や上司の意向、入居者のためと言う。
そう言っているコンシェルジュに限って、
入居者を怒らせクレーム化させているのでは?

「やり過ぎなんだ」と、私の仕事ぶりを見て言う人もいる。
そこまでしなくていい、
そこまですれば入居者に好かれるはずだ、とも言われる。
入居者に好かれ頼られることは、
仕事量が増えるだけで、私は何の得もしていない。
(お菓子を頂く回数は多いかも?)

久々のカラオケを楽しんで貰おうと、
普段は聴かない昔の歌を、喜び褒め拍手する。
仕事中なのに、スナックのママになった気分。
私にも、「1曲歌え」と言う。
『君は心の妻だから』や『ああ上野駅』を
気持ち良さそうに歌っている入居者を前にして、
『Habit』なんか歌ったら、騒音としか思われないだろう。
ちょっとデュエットに付き合う程度で止めておいた。

楽しい時間を過ごした後、
あと一ヶ月で去る私は、
また後ろめたくなった。