想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

救急隊の方には申し訳ない

帰る前、様子を見に行った。
同居している娘さんが米国に行っていて、
部屋に一人でいるお母様のことを心配されていたのだ。
朝食の時、床に転んだまま、起き上がれなくなっていた。
96才、最近、腰を悪くして、室内も歩行器を使って歩いていた。
夜に一人でトイレに行けるか心配で、それを確認したかった。

案の定、歩行器から便器に移る際に転倒し、頭を打った。
事務室に戻った時、ワイシャツや手に血が付いていることに気づき、
再び部屋に戻ってみたら、後頭部から出血していた。
打った時の音から単なる打撲で、切り傷程度だろうと思ったが、
なんせ96才で、今は足元がおぼつかない状態、
このまま、娘さんが帰国する明日まで、
一晩でも一人にするのが不安で、救急車を要請した。
なんとか、キーパーソンの一人に頼み、
病院へ向かって貰えることになった。

私はその日、帰りに病院に行く予定だった。
でも、後は遅番(去年の新入社員)に任せて帰る、
ということが出来なかった。

救急隊の方には申し訳がないが、
私の救急車要請の基準は、
夜中に緊急事態になる可能性があれば、
自分の勤務中に要請し病院に送ってしまう、ということ。
この程度で救急車を呼ぶな、と思われているだろう。
でも素人の直感で、これまで何人も最悪な状態にならずに済んでいる。

いつも思い出すのだ。入社して数か月後の"あのこと"
その時の宿直者と待機者の判断と対応遅れで、
メインの住宅の入居者が亡くなった。
彼女は何度もナースコールを押していた…。

次の日、前日の緊急対応の残業申請をしていいか、
上司に電話を入れたら、「お疲れ様」の言葉もなく冷たかった。
この組織から離れると決めて良かったと思った。
あと2か月で退職する。

システムの復元の思い出

いつからか右クリックが使えなくなっていて、
不便だなーと思っていた。
マウスの買い替えの前に、久々に復元をしてみようか?
でもこのノートで「システムの復元」が見つからないし、
初期化したら直るかな?
え~い、初期化してしまえ…
私は時々、こんなふうに後先考えないで、
やってしまうことがある。

9時に開始して、終わったのが夕方5時近く。
まだかまだかと画面を見続け、やっと終わったと思ったら、
ウイルスバスターが削除されていることに気づき、
入れ直すことに。
パスワードを送って貰おうと思ったら、
メールソフトも削除されていて、入れ直し。
ああ、久々にパソコン漬けの一日になってしまった。

あれは、もう25年以上も前、
「これ、下さい」と20万円もするノートパソコンを買ってきて、
ネットやメール等の設定で睡眠不足が続いた。
あの頃はまだインターネットの敷居は高かった。
あれから、転職してパソコン講師になったりした。
office以外にもそれなりに勉強していたから、
他のソフトも理解出来た。

小さな会社のコンピュータ部門で働いた時、
パソコンのスキルをバカにされ屈辱的な思いをした。
ある日、原因は不明だが言語バーの調子が悪くなった。
そこのコンピュータ部門の人達は、誰も直せなかった。
私がシステムの復元をして直した。
システムの復元なんて簡単なこと、
初心者の頃にすでにやっていたから。
この程度の人達に屈辱的なこと
言われたりしていたんだ…と思った。
あの時、もうパソコンの仕事はしないと決めた。

パソコンにまつわる懐かしい日々を思い出しながら、
貴重な休日が終わった。

退職届を書き上げた

今の職場は、突然出社しなくなると言う人が
老若男女問わず何人もいて驚く。
そういうのを最近では"飛ぶ"というらしい。
前もって退職の意思を示すとか、退職願いを出すとかが
常識と思っている私は古い人間だからなのか。
でも私より古い人間が何人も"飛ぶ"のだから、
この職場に、常識的な手続きなんて要らないのかもしれない。

退職届の文書が出来上がった。
自分が常識的な人間であるという、
アピールがしたいだけかもしれない。
あまりに上手く出来たので、
早く提出してしまいたい衝動にかられる。

昨日、新しい責任者Kと言い合いになった。
相手の言う言葉をそのままお返ししたいと思った。
前の責任者NがKに吹き込んだ内容は、
パソコンが苦手だったNの被害妄想と
私への逆恨みと思える内容だった。
でも辞める理由については、ありきたりの
「一身上の都合」「体調不良である」こと以外書かなかった。
辞める人に対して、残る人間が心配しないように
辞める方も、その後の職場のことなんてどうでもいいのだ。

昨日は久々に、なかなか眠れない夜だった。
仕事を辞める…環境が変わる…
母親を心配させる…生活の不安…
何度も経験しているのに、またそんな夜が来るとは。
初めて会社を辞めた時、
大海に一人ぽっちで放り出されたような
底なしの不安に襲われた。
初めて無職になったあの日の夜空、
輝く星を見つめ、怖かった。あの気持ちが、今は懐かしい。

今は、あの20才の時と違う。
数年後にちゃんとした年金の支給(多くはないが)が始まるから、
無収入の生活が長く続かないことがわかっている。
この不安は、ここ数年順調に老後の資金が
増やせるようになっていたのに、
それが出来なくなる不安でしかないのだ。

女王様再来

二日前、K住宅勤務の時、入居者の方に呼ばれたので訪室した。
不満を誰かに聞いてほしくて、私を呼んだようだ。
話はだんだん、新しい責任者Kのことになる。
Kは"聞く耳の無い偉そうな態度を取る人"と奥様は言う。
私も同じように感じていたので、ただ聞いていた。
Kがいるからここを出て行きたい、と続ける。
あれ?どこかで聞いたことがある。
辞めた責任者Nも入居者に同じことを言わせる言動で
辞めたばかり。
どうしてこうも、同じような人種を採用するのだろう。
そして、どうして、パートの私が再び、
責任者(社員)の苦情を聞く羽目になるのだろう。

次の日、M住宅勤務。
なんとここでも、そこの責任者の言動に対する苦情を
聞かされることになった。
(直接、本社に言ってほしい)
私は、責任者(社員)の上司ではないのだから。
私が何かしてくれる、なんて思って
話しているわけではないだろう。
ただ聞いてくれそうだからと、私を選んでいるのだ。
入居者対応で神経をすり減らし、
社員への苦情にストレスがたまり、
去年からの体調不良は、もう限界に近かった。

彼女達の、どこが悪いのだろうと考えた。
サ高住のコンシェルジュの存在意味を
捉え違いしているのではないだろうか。
私は、コンシェルジュの位置は、
入居者の下にあると考えている。
入居者はお客様という意識が常に必要だと思っている。
けれど彼女達は、入居者の上、
そして私達パートの上に"君臨"している。
女王様だ!
だから、失礼な高圧的な態度を取り、入居者を怒らせるのだ!

私はKのいるK住宅を離れる決心が固まりつつある。
私は、転職の女王・・・・・カナ?

全員退職の可能性

コンシェルジュが全員辞めたM住宅の立て直しは一段落し、
私は、今月から晴れてメインの職場K住宅勤務に戻った。
でも、"晴れて"ではないことになっていた。
私がいない間、新しい責任者Kと遅番担当のMの関係が
ギクシャクしていた。
私は、K住宅には時々しか入っていなかったので
はっきりとわかっていなかったが、
なんか変だ、空気が違うな、と感じていた。

責任者のKは、元々いる私達パートに
仕事を押し付けられていると、会社に苦情を言っていたようだ。
それは、遅番担当のMが「パートだから」と言い、
なんでもKに押し付けていたからということらしい。
私もまた、責任者を立てる意味で、仕事を振ったことがある。
(自分がやった方が速いと思っても)
Kは、なんでも自分に押し付けられていると思い込み、
意固地になってしまっているようだ。

私は、入社した当時の責任者から、なんとなくではあるが、
責任者の範囲、パートの範囲があることを教えられていた。
それに従って、敢えて自分がやらないで、
責任者に回していたのだ。

Kの、自分一人が大変な思いをしているという被害者意識で、
じとっと見る目で、偉そうな口調の指示をしてくる。
陰でNのミスの修正をしているこちらの苦労を知らないで。
今月は、被る時間が長くウンザリ…。

M住宅の全員退職の次は、
今度はK住宅の全員退職もありうるな・・と思う。
誰が悪いのではない。
人手不足で、とりあえず人を採用し、
社員教育も無し、仕事の進め方の説明も無しに業務に当たらせ、
問題が起こったら、働く人のせいにする。
原因は、会社にあるのだ。
そんな会社の運営するサ高住に
入居者の方の安心安全な暮らしはあるのか?

戦士の休息

休養のため有休を取った。
明日友人と会う予定になっているから、連休になる。
昨日の早朝、血尿が出たので、仕事の帰りに病院に行った。
膀胱炎の可能性が高い。
ただの膀胱炎ならいいけれど。

K住宅(メインの職場)の責任者と
M住宅(兼任の職場)のコンシェルジュが全員辞めたことで、
M住宅の立て直しのために、二カ月半、頑張った。
と言っても、入居者の不安を解消し、
信頼を回復させるために、
いつも通り普通に働いていただけなのだが。
今月から、ようやくメインの職場K住宅に復活する。

コンシェルジュが全員一気に辞めるという危機を
新しい責任者M(社員)に協力して、
乗り越えたわけだけれど、私には何のメリットもない。
メインの職場のコロナ対応も行い、疲労困憊、
挙句の果てに、血尿が出るほどだったのに、何も無い。
虚しいと言えば虚しい。
社員にはボーナスがあるがパートには無い。
社員になりたくない、パートでいいと
私が望んでいることだから、不満は言えない。
誰に頑張れと言われたわけじゃないのに、
頑張ってしまった、そして、血尿が出るほどに疲労した?
バカみたいだけど、二か月半、よく頑張った…
と自己満足に浸っている。

韓国のニュースや、スボーツの話題など、
聞かないように見ないようにテレビを消して、
住宅街の時々聞こえる車の音なんかをBGMにして、
本を読む。家事をする。
明日会う友達とどこで食事しようか考える。
静かに、静かなひとりの部屋で過ごしていると、
一人、っていいなって思う。
一人を"一人ぼっち"って寂しそうな言い方するけど、
何かに(宗教とか)、誰かに、依存している人の方が寂しくないかな。

書くことで

昼食は、入居者の方と同じものを調理師が作ってくれる。
入社してから、一度も"私の分が無い"ことが無かった。
調理部門の方で職員食を把握しているか、
分からない時は、確認してくれていたのだ。
ところが一昨日は、12時からの遅番だったのに、無い。
「なんでもいいから」と言って出てきたのは、
ご飯(一応温かい)と、余った副食(冷たいまま)がドンと出された。
昼食代払っているのに、これは無いだろう…。
私がM住宅の支援に行っている間、
メインの職場K住宅の新しい責任者で入ったKが
職員が食べる時、いちいち書いたものを渡すという方法に変えていた。
それを知らされていなかった。

私が留守(?)の間に、
K住宅の物品や書類の置き場所を
Kが自分のやりやすいように変えていた。
始めは、事務所がキレイになったと喜んでいたが、
Kがやりやすい=元々いた人がやりにくい、ということ。
また、Kは自分だけがわかるような事務処理をする。
今回のようにコロナ陽性者が出て、
気を使う対応をする時は、大変。
「Kに言った」という入居者の言葉は、
実際に申し送りにも無いし、処理もされていないので、
情報を集めて、私が手配し纏めなければならなかった。
疲れた。。。。。

どうして、責任者のポストに、あんな人(達)を置くのだろう。
前のNの時といい…
仕事より、職場の人間関係に疲れた私は、
どうすれば、このストレスを解消できるだろうと考えた。

私は作文が好きだ。
自分の気持ちが表現出来きた時、楽しいと感じる。
そこで、『私の天敵』というシリーズを
書いてみることを思いついた。
書くことで、ストレスの元になっていること、
自分の欠点もわかるはずだから。