喪中の葉書が届いた。
年賀状は「今年が最後」にしていたから、
どこからも届かないと思っていた。
差出人は、昔のアルバイト先の人。
歳はたぶん5歳以上離れていたと思う。
出身大学が私の第一志望の大学ということで意気投合し、
当時は、兄のような存在だった。
妻が9月に・・、愛猫が1月に・・、とあった。
子供がいないのでネコを可愛がっていて、
年賀状にはいつも妻とネコの名前が連なっていた。
昨日届いた葉書には、彼の名前だけ。
いつも並んでいた活字が消えた。
父が亡くなった時には、『お悔やみ欄』を見て、
まさか父が活字になるなんて、
と思ったことを思い出した。
彼とはたまに電話で話していた。
と言っても、彼がかけてきた、
投票の「お願い電話」のついでにだ。
10年以上前、ブログを勧めたこともあった。
勧めておきながら、訪れて読むことはほとんどなかった。
(彼には申し訳ないが、あまり面白くなかったので)
愛するものが今年一度にいなくなり、
今どうしているかが心配になった。
もしブログを続けているのなら、
近況がわかると思い探したら見つけた。
彼は律義に続けていた。(もともと書くことが好きな人だった)
自分で料理をして、甥とお酒を飲んで、
元気に(?)暮らしているようだった。
ずっと傍にいた人がいなくなる大きな喪失感を
ずっとひとり暮らしの私は、味わうことは無い。
守られることは無い、煩わしいことも無い、
小さな哀しみや不安や淋しさを積み重ねる、
それが、ひとり暮らし。