ひどい難聴じゃなかったら、
もう少し違う生活があったんじゃないか、
連休に入っても、急死されたその人のことを考えていた。
彼は、大手銀行の銀行員だった。
いつからあんな重度の難聴になったのだろう。
人と話が出来ないことで、
元々上手く人付き合いが出来ない性格に輪をかけて、
孤立し、寂しい生活を送っていた。
共同の大浴場では、いつも会う入居者のSさんに
言いがかりをつけて、怒らせることが度々あった。
聞こえないことで卑屈にもなっていたようだ。
喧嘩を売られた方のSさんは、大人の対応で
笑って私に報告してくれる。
そんなことがあっても相変わらず2人とも、
同じ時間帯に降りて来てお風呂に入っていた。
彼は、今月3回目のワクチンを予約してあげたから、
接種にも行っていたし
食パンの取り置きの手配もしてあげたから、
一ヶ月分の食パンが冷凍してあるはずだし、
去年はテレビを買ったばかりだし…
これから先もずっとずっと生きて行くはずだった。
なのに、もうすでに通夜も葬儀も終り、
親族は、必要な物以外は全部捨てると言っている。
一週間もしないで、パッと何もかも消えてしまうのだ
始めから存在しなかったように。
あまりにもあっけない。
みんな同じだろうか。少し違う、と思った。
私は、亡くなった父のことを今でも思い、思い出している。
人はいなくなっても、残された人の心に生きている。
親族とさえも関わりの薄かった彼は、誰の心に生きているのだろう。
連休前、Sさんがお風呂から出てきた時、
いつものアイツは、「来なかった」と笑顔で私に呟いた。
(もうずっと来ないのに)
私は、ただ笑って頷いていた。