想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

誰かの心の中で

ひどい難聴じゃなかったら、
もう少し違う生活があったんじゃないか、
連休に入っても、急死されたその人のことを考えていた。

彼は、大手銀行の銀行員だった。
いつからあんな重度の難聴になったのだろう。
人と話が出来ないことで、
元々上手く人付き合いが出来ない性格に輪をかけて、
孤立し、寂しい生活を送っていた。

共同の大浴場では、いつも会う入居者のSさんに
言いがかりをつけて、怒らせることが度々あった。
聞こえないことで卑屈にもなっていたようだ。
喧嘩を売られた方のSさんは、大人の対応で
笑って私に報告してくれる。
そんなことがあっても相変わらず2人とも、
同じ時間帯に降りて来てお風呂に入っていた。

彼は、今月3回目のワクチンを予約してあげたから、
接種にも行っていたし
食パンの取り置きの手配もしてあげたから、
一ヶ月分の食パンが冷凍してあるはずだし、
去年はテレビを買ったばかりだし…
これから先もずっとずっと生きて行くはずだった。
なのに、もうすでに通夜も葬儀も終り、
親族は、必要な物以外は全部捨てると言っている。

一週間もしないで、パッと何もかも消えてしまうのだ
始めから存在しなかったように。
あまりにもあっけない。
みんな同じだろうか。少し違う、と思った。
私は、亡くなった父のことを今でも思い、思い出している。
人はいなくなっても、残された人の心に生きている。
親族とさえも関わりの薄かった彼は、誰の心に生きているのだろう。

連休前、Sさんがお風呂から出てきた時、
いつものアイツは、「来なかった」と笑顔で私に呟いた。
(もうずっと来ないのに)
私は、ただ笑って頷いていた。