想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

高齢者の着こなし

50代後半の頃、若作りしているつもりもないのに、
服装が若い、と言われたことがあった。
どんな服を着たらいいの?と聞くと、
「周りの人(おばさん達)のような」、と言った。
低身長のために、子供っぽく(よく言えば若く)見られ続け、
それはコンプレックスでもあった。

年相応の服装というのは、どういうものか考えてみた。

高齢者女性の服装のイメージは、
少数派のオシャレな人を抜かして、
一般的に、”ゆるゆるの服””ボヤッとしている配色”、
反対に(柄物を合わせていて)”クドイ”だ。

高齢者とは言っても、
サ高住の入居者の方々の多くは、オシャレだった。
裕福だから、高い服を着ていた、というのではない。
どの方に聞いても、「昔の服」と言う。
新しい服、流行りの服を買っていないのだ。
昔買った質の良い服を長く着続けているのだろう。

流行というのは、若い人のためにある。
身体の線が崩れ、髪も顔も変わった年代の人が
取り入れても似合わないのだ。
”若々しい”か”若作り”かは、
よく見るシャツを出す着方でわかる。
「シャツを出している」という印象になる人は、若々しい。
「シャツが出ている」という印象になる人は、若作りだ。
だらしなく見えるだけだから、無理をしない方が良い。

母には、「柄物を合わせるな」とか、
「ポイントになるような色を入れた方がいい」
とかファッションアドバイスをする。
でも、自分は・・年相応の着こなしの模索中だ。
今思っているのは、体型を誤魔化す着方。
それは”ゆるゆるの服”を着るというのではなく、
配色で視線を誤魔化すということ・・・・

きっと友人は言う。「誰も見ていないよ」
そうかもしれない。
でも、どうでも良くなったら終わりだ。

怪しい人

もう読むことの無い本数冊をブックオフで売った。
事前に調べた買取価格より、高く売れた。
FPの勉強用の参考書を買おうかと
店内の奥の棚に行き、”物色”していたら、
カウンターで対応してくれた若い女性店員が、
近くで棚の整理を始めた。
・・・どうやら、万引きされないように監視している模様。

目の届かないところに客が行ったら、
商品整理にかこつけて、そうしろと指示されているのだろう。
なんだか、万引き犯と疑われたようで不愉快になった。
万引きどころか、カンニングさえ
やったことの無い私を疑うか??
でも昨今は、万引きしそうもない人が万引きする時代だ。
お店側のこういう対応もわかる。

私の何が怪しまれたか?
1.風が強かったので、髪が分かれて
根元の白髪が見えないように、”帽子”を被っていた。
2.花粉アレルギー予防のため、”マスク”をしていた。
3.口の大きく開いた”トートバッグ”と、
100均で買った商品を入れた”エコバック”を持っていた。
こんな人が店の奥に消えたら、
疑われても仕方がないかもしれない。

怪しいか怪しくないか、
信頼出来る人か出来ない人か、
超能力者じゃない限り、見分けるのは難しい。
信頼出来る人かどうかは、長く付き合えば
自然にわかってくるものだと思うけれど、
大谷選手と水原通訳の例もあるし・・

まずは、疑われない”装備”をする、ということだ。
”靴”も大事。
キレイな傷んでいない靴を履いている人は、
けっこう信頼出来ると思う。

発言は消去出来ない

過去の自分のブログを読んで、
自分が書いたと思えない、こんなこと考えていたんだ、
と思うことがある。
このブログを始めたのは数年前だが、
以前にもやっていて、2500本以上書いている。
これだけ書いていたら、同じようなことを
何度も書いたりする。
前に言っていたことと、違うことを言ったりもする。
ただ言えることは、どちらも本心、その時の本心ということ。 

川勝知事の、切り取られた発言には、首を傾げた。
どう見ても、職業差別としか捉えられない。
そういうつもりで言ったのではないと言っても、
そういうつもりも何も、普段からそう思っている、
本心なのだろう。
本心なら、認めればいいのに、
それを「切り取られた」と
言い逃れしようとするところが問題なのだ。

職業に限らず、人は誰でも少しは心の中に
差別意識を持っていると思う。
他人を低く見ることで、自分を高く
価値ある人間だと思いたいのだ。
価値があるかどうかは、他人が評価することなのに。

失言は、最初に言ったことが本心で、
その後は、取り繕いだ。
でも、悪いことをしている自覚のある人は、
最初に言うことは、嘘。
後に言うことが、真実、だと思う。
水原通訳もそういうことではないかと思う。

私は、公人じゃなくて良かったといつも思う。
本心をつい口にするところがあるから。
言った後に気が付いても、もう遅い。
それで失った人や恋もあり・・・

”腹水盆に返らず”が座右の銘になっている。

らしい姿に

ちょっと早いが、パキラの植え替えをした。
植え替えに適した時期があることを初めて知った。
(5月から10月の間らしい)
植物は、適当に水をあげていれば育つものだと思っていた。
育児経験が無く、めだか以外飼ったことが無い。
生き物を育てていく中で
育まれていくだろう知恵や母性みたいなものが、
私には不足しているかもしれない。

最近、松田聖子の通信大学卒業のニュースを見て、
ポッと心に火が点いた。
いくつになっても、やれるのではないか、と。
そして、目標を持って勉強する楽しさや、
そうしている姿が自分らしいのではないか、と。

ずっと苦しかったじゃないか、
もう無理することは無い、
無理なんかしなくていい歳なんだ、と思っていた。
仕事だって、もう覚えることの少ない仕事で、
「歳だから」と笑ってごまかせるような
簡単な仕事でいいんじゃないかと思っていた。
(簡単な仕事でも遣り甲斐を感じられればいい)
でもそれって自分らしいか・・・・

必要があって相続の勉強をした。
今まで関係ないし興味も無いし、
知らなくてもいいと思っていたことだ。
でも自分にも関係があることになったので、
勉強しているうちに、面白くなってきた。
ふとFPの資格の勉強って、仕事に就けないまでも、
これから役に立つよね、と思いついた。
経理の仕事をしていたわりには、
経理的なことはあまり得意ではない。
でも、損保や介護の資格は取ったことがあるし、
年金は受給者になったから、一番興味のあるところだし。
FPの資格取得の勉強は、案外楽しいかもしれない。

歳とか時間があるとか無いとかより、やる気の問題、
生活が危うくなって初めて気付いた。

次女の評価額

あれほど親子間で話しをするのが
躊躇われていた"相続"が、普通の話題になった。
去年後半と今年、親族の不幸が続いたために、
手続きの大変さを知ることが多くなって。
親も高齢、子も高齢。
離れて暮らす独身の娘(私)の
母親にとっての価値の低さを改めて感じている。

母は私にこれまでも何度も聞いた。
「(実家に)帰って来る気は無いの?」
以前は、無職になったら
家賃がかからない実家に引っ越す、
という考えも無いことは無かった。
でも、今は99%無いという気持ちになっている。

片付いてはいるけれど、物が溢れ空いている部屋が無い家。
(片付けて捨てる気も無い)
"私の暮らし"を持って行くスペースが全く無い。
町に知り合いもいない。
お店、娯楽、何を取っても、あの町には無い。
私一人が残った時の暮らしが、想像できない。
こないだ、戻らない、とはっきり言い切った後、
私は親不孝なんだろうか?と思った。
一時、実家に戻った時に、
結婚する気がないなら出ていけ、と言われ出て、
(歳を取って心細いから)戻って来い、と言う母親は
勝手過ぎやしないか??と思った。

ここに来て、元々母親にとって価値の高い、
長男の評価が爆上がりしている。
パークゴルフに温泉に買い物、
車でどこでも連れて行くし、頼りになる息子。
たとえ、(もうかなり前から)
息子の家族と絶縁状態に近い形になっていたとしても。

親の、子に対する愛情は平等というが、
90才近くもなると、そうではないと思う。
与えられる安心の大きさで子の価値が決まる。
別居している独身次女の私に、どの位の価値があるだろう。

誕生日はそっとして・・

働いていて忙しい日々の中だと、
忘れてしまう、というか、
考えないようにしていられる誕生日も、
暇な時間に溢れた今は、
しっかり向き合わなければならない。
誕生日ブルーだ。

こないだ、『介護保険被保険者証』なるものが届いた。
えっ?私に!?と一応驚いてみたものの、
そういう年令ということは、
しっかりわかっていてのこと。
ああ、高齢者と呼ばないで・・・

誕生日当日、どう過ごそうか、
あれこれ考えている。
二十歳の時は、ひとりで小樽の街を歩いた。
雪道を歩いていると突然、頭に雪玉が当たった。
振り向くと遠くに観光客の塊がいて、謝っていた。

今回は誕生日のプレゼントとしてクッキーを買った。
今日、お取り寄せのクッキーが届く。
迷いに迷って、決めたものだ。
このクッキーで、どれだけ
誕生日ブルーは軽くなるだろう。

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毎年、何件かのお祝いメールの中に、
派手なメールをくれる友人がいる。
覚えていてくれた、といううれしさより、
そっとしておいて、というキモチ。
でも、私も必ず彼女の誕生日の日、
早朝に、メールする。

炭水化物同士

料理が苦手というのは、
経験と連想力が足りないからだと思う。
冷蔵庫を開けて食材を見て、
たくさんのメニューを連想出来ないのだ。
例えば卵。
「卵焼き」「目玉焼き」「卵丼」
「卵かけご飯の鰹節添え」(?)・・

毎日毎日、毎食毎食、
メニューを考える生活というのが"結婚"で、
そんな生活は苦行としか思えなかったというのも、
生涯独身の原因かもしれない。

自炊生活が長くても、料理が得意にならなかったのは、
やっぱり元々"料理脳"が無いせいもあるだろう。

冷蔵庫に、キュウリがあった。
ハムもあり、卵もあり、
ここで連想したのは、「冷やし中華」だった。
でも、麵が無い。
・・でも、食パンがある!

そこで「冷やし中華サンド」にしようと思った。

5枚切の食パンを開き、
マヨネーズを塗り、薄焼き卵とハムを挟み、
濃いめに作った冷やし中華のたれをキュウリに浸み込ませ
紅ショウガを混ぜて、間に挟んだ。

今回は大成功だったようだ。