日常から、"求職"を除いたら、
なんて気軽で楽しいんだろう。
「仕事は決まったの?」
「いい仕事はありそう?」
仕事は、仕事は、仕事は・・・・
私の生活や将来を心配しての、
親や友人達の言葉は、有難いというより、
プレッシャーでしかなかった。
年金受給が始まり、飢え死にすることだけはなくなった。
今、楽だ、楽しい、幸せだ、と言っていても、
いずれそのツケが回ってくるかもしれない。
でも、そのツケを受けとめるのは、
親でも、友人でもなく、自分。
果たしてこの少ない年金で、
暮らしていけるものだろうか。
物欲だらけの、若い頃のままなら無理だろう。
けれど、バーキンが欲しいとも、新車が欲しいとも、
オシャレな店で食事したいとも思わなくなった今、
無理なんかじゃない、と思っている。
働きたくないから逃げている、というのではなく、
この慎ましい生活でも、
幸せは感じられるとわかったから。
1人で車を走らせ、何処へでも行った。
1人で楽しむことに慣れていたが、
1人じゃ行きたくても行けない所もあった。
例えば、こないだのお祭り。
それが、友人達が定年退職したことで
一緒に行けるようになった。
数々の就業経験は、自転車と同じだと思う。
何年も乗っていなくても、
昔乗れた人は、いくつになっても乗れる。
同じようにいつか働き出した時、
認知症を発症していない限り、働けると思うのだ。
もちろん、昔と同じペースで動けるわけじゃなく、
感覚だけが蘇るということだけど。