金沢市の青看板が見えた時、会ったことの無い祖母に、
(あなたの孫がここに来ました)と心の中で挨拶した。
兼六園を歩き回った後、七尾市の小牧台にある
国民宿舎(当時は)に泊まった。
海に映った夕焼けは、劇的だった。
能登半島の日本的で美しい色彩の街並みも覚えている。
大地震の被害の映像が流れると、
切なくて堪らなくなる。
40代の頃、能登半島も走った日本縦断の旅は、
観光目的ではなかった。
交通事故でパニック障害になり、
大好きな運転が出来なくなったための治療目的(荒療法)だった。
旅行でもほとんど行ったことの無い本州や九州を
そんな病気の私が北海道からひとりで行って走るなんて、
大それたチャレンジだった。
治療目的の他にも理由があった。
長く勤めた会社で、自分の存在意味がわからなくなっていた。
長く悩み続けたモヤモヤが
満タンになるまで充電された時、
その大それたチャレンジを思い立った。
達成感が欲しかった。
もし、何の不満もない日々を送っていたのなら、
あんなチャレンジなんて出来なかっただろう。
周りのみんなに止められた危険なチャレンジだったけれど、
たぶん生きてきた中で一番の思い出になるはずだ。
思い通りにはならない日々や辛い日々というのは、
ただ苦しくて無駄に過ぎていく時間のように思えるが、
その期間には、いろんな思いが充電され続けていて、
いつか満タンになって、使えるようになる日が必ず来ると思う。
被災した方々も、そのエネルギーを使って、
元気に暮らして行ける日が来ることを祈って。