想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

バッテリー

金沢市の青看板が見えた時、会ったことの無い祖母に、
(あなたの孫がここに来ました)と心の中で挨拶した。
兼六園を歩き回った後、七尾市の小牧台にある
国民宿舎(当時は)に泊まった。
海に映った夕焼けは、劇的だった。
能登半島の日本的で美しい色彩の街並みも覚えている。
地震の被害の映像が流れると、
切なくて堪らなくなる。

40代の頃、能登半島も走った日本縦断の旅は、
観光目的ではなかった。
交通事故でパニック障害になり、
大好きな運転が出来なくなったための治療目的(荒療法)だった。
旅行でもほとんど行ったことの無い本州や九州を
そんな病気の私が北海道からひとりで行って走るなんて、
大それたチャレンジだった。

治療目的の他にも理由があった。
長く勤めた会社で、自分の存在意味がわからなくなっていた。
長く悩み続けたモヤモヤが
満タンになるまで充電された時、
その大それたチャレンジを思い立った。
達成感が欲しかった。

もし、何の不満もない日々を送っていたのなら、
あんなチャレンジなんて出来なかっただろう。
周りのみんなに止められた危険なチャレンジだったけれど、
たぶん生きてきた中で一番の思い出になるはずだ。

思い通りにはならない日々や辛い日々というのは、
ただ苦しくて無駄に過ぎていく時間のように思えるが、
その期間には、いろんな思いが充電され続けていて、
いつか満タンになって、使えるようになる日が必ず来ると思う。
被災した方々も、そのエネルギーを使って、
元気に暮らして行ける日が来ることを祈って。