ベンチャー企業で平日は事務、
土日は大学病院でホールスタッフのパートという
Wワークをしていた頃だった。
長く続く気持ちの悪い横揺れの後、
事務所のPCで、空港で多くの車が流されている映像を見た。
震災から12年。
あの頃は、
ポニーテールをすれば、顔が若返った。
母は、都会(?)で買い物がしたくて、
月に2回は田舎から出て来ていた。
貯金は、ほぼ底を付いていた。
父は、生きていた。
介護の仕事は、無理と思っていた。
信号が黄色になったら走って渡った。
パーカーが好きで、似合っていた。
震災の影響を受けていない土地に住み、
幸いにも生きながらえている。
パーカーは、身体の線を拾うから、歳を取ると似合わなくなる。
今から無理な横断はしないクセをつけることにした。
介護の知識は、自分の今後の生活に役立つ。
87歳の母は、体力は落ちていないが、
歳を意識し過ぎて、用心深くなり、
毎月来ることはなくなった。でも、たまに来る。
無駄遣いをしない工夫で、
若い頃「そこそこ貯めたな」と思ったくらいの額の貯金が出来た。
髪やお化粧で、若作りは無理と気づく。
他界した父は、コロナを知らない。
お店にも球場にも大勢の人がいる。
また動き出した日常。
どうなってしまうんだろうということも、
結局は、なんとかなっていくものだな。