汗で疲労困憊していた肌が、気が付けばサラサラになり、
涼しいというより、寒気を感じた時、秋になったな、と思う。
そんな時に必ず、秋の気配という言葉と共に、
オフコースの『秋の気配』が頭の中に流れる。
そして空が高くなったなぁと、在り来たりのことを思う。
職場の書棚から借りてきた『東京タワー』を読んでいると、
私と同じように、主人公が高校に入ると同時に
親元を離れる話しになった。
一戸建てじゃなく、高層マンションじゃなく、
木造アパートに住んでいても、
常に幸せと感じるのは、あの時代があったからだ。
テレビや洗濯機・冷蔵庫も無い(途中で買って貰ったが)
もちろんお風呂もないし、トイレは共同。
お湯も出ない、4畳半の部屋。
都会(?)とはいえ、父の本家がやっている古いアパートは、
憧れていた「かぐや姫」の歌の世界そのものだった。
父は「立派な家(実家)があるのに、
こんなところがいいのか!?」と呆れていた。
私は、何不自由のない実家にいるより、
不自由だらけだけど、親の言いなりにならず、
自分の意志で生きる自由の方を選んだ。
苦労知らずで、女である私は、
その後、思い通りにならないことばかりだった。
それでも、生活し続けられたのは、
金銭的な援助をしてくれた親のおかげだったと思う。
中学生の私が、どうして、
不自由だらけの生活をしたいと思い、
しなくてもいいような苦労をしてきたのか、
それが良かったのか、悪かったのかわからないが、
今でも、夜遅くにシャワーに入る時
洗濯機が洗濯してくれることに
楽でいいなあー幸せだなーと思えるのは、
あの不自由な日々があったからこそで、
なくてはならない経験だったと思っている。
秋になると、過去が甦る。