想うままひとり暮らし

16才から始めたひとり暮らし、60代になった今もこれからも

SDGzファッション

セカンドストリートで、素敵なブラウスを買った。
細いストライプ柄で爽やかなブルー。

パンツにもスカートにも合いそう。
普通のお店でも見つけられないような
気に入ったものが、お得な値段(550円)
で買えたというダブルの喜びがある。
いつもウォーキングの帰り、お店に入り、
ゆっくり見て回っていた。
時間は十分にあるのだ。

中古の服を買うようになったのは、
人気シニアブロガーさんの影響だ。
彼女は、メルカリで服もバッグも買う。
始めは支出を抑えるためだったのが、
人気ブロガーになり収入が増えたのにも関わらず、
相変わらず、メルカリで買っている。
中古を着て、中古を持つことが
”貧乏くさい”というイメージから離れつつある。
これは、『SDGz』

中古で買わない物は、靴。
ピッタリ合うものでなければ体に悪い。
品揃えの少ない中古のお店では見つけにくい。
絶対新しいものでなければならないのは他に、
衣類なら下着くらいだろうか。

以前は店内で選んでいる人を見ると、
正直、別の味方をしていたが、
今はオシャレな人達が「これかわいいね」と
友人と選んでいる様子は、普通の店の客と同じ。

普通の店がガラガラなのに、中古の店に客がいる。
『SDGz』を意識して、というより、
何かこう、人々の間で変わってきているものがあると思う。

昭和のOL

人間の脳の働きの中に
「慣れる」「忘れる」というのがあり、
とくに「慣れる」というのは、
生きていくために、重要なものだと思う。
どんなことにも、「慣れる」ことで、
ストレスが減少し、生きて行ける。

昔、OLの仕事の中に、お茶出しがあった。
男性より早めに出社して、
事務所の掃除をしてからお茶出しをする。
コーヒーならば、それぞれの好みを覚えて出す。
仕事中、電話対応はほぼ女性と決まっていた。
男性は、タバコを吸いながら、仕事をする。
タバコを吸うために、別の場所に行き、
雑談を始め、長い時間休憩することもある。
灰皿を洗い片付けるのは、女性の仕事。
電話対応しながら、接客しながら、
事務作業を懸命にこなす。
それでも、女性の給与は、男性より低かった。

あの時代は、不満に思いながらもそれが普通だった。
日本中の職場が、どこも同じようなものだと思っていた。
違うところもあったかもしれないが、
それを知る術(インターネット的な)がなかった。
だから不満に思いつつも慣れて、
"普通に"働き続けていた。
男性の立場では、また違った思いもあっただろう。
でも、たぶん、同じようにそれが"普通"と思っていた。

昔のそんな"普通"を経験していると、
今の時代の各種ハラスメントや男女格差とか
いちいち騒ぐことを不思議に思う。
同時に、生きにくいだろうなあ、と思う。
あまりにも広く深くたくさんの情報が入ってきて、
「慣れる」ことが出来ない。
不満はあったけれど、「慣れる」ことで、
ストレスが少なく生活し続けられた時代は、良かった、
と、昭和のOLは思う。

絶対幸福時間

令和6年度も、住民税非課税の国民に
10万円の給付金を支給、というニュースを見て、
今回は、私も対象だ!!と喜びながら、
こんな政策の対象になって、
喜んでいるようじゃダメだ、と思った。

ああ、どうして私は・・と思う時、
私に比べて、あの人は、老後の心配がないくらいの
財産があっていいな、と思う反面、
でも、悪い道に入いり苦労させられた弟は亡くなり、
母親も亡くし、父親は施設入ってしまい・・と
不幸なことや大変な面を探す。
家族がまだ元気でいる私の方が
なんだかんだ言っても、
恵まれているのではないかと思い返す。

自分が不幸せと思う時、必ず、同級生や知人や、
いろんな人を思い浮かべながら、比べている。
そうして自分の方が幸せ、と思う落としどころを見つける。
他人と比べなくても幸せ、と思えるものを見つけられない。
(無いのかも)

比べなくても、幸せと思える絶対的幸福要素は
持っていなくても、"絶対幸福時間"は持っている。
それは、『孤独のグルメ』を観ている時。

松重さんが昔好きだった人に似ているということもある。
いつも同じ人が美味しそうに幸せそうに、
食事するだけの内容。
いつ見ても何度見ても飽きず、心が落ち着く。

同じ顔、同じ流れというのは、
目まぐるしくいろんな事件が起こったり、
災害に見舞われたりする現実と違い、
なんて幸せな映像なんだろう、と思う。
・・やっぱり比べている。
これも"絶対幸福時間"と言えないかも。

理想の親と従順な娘

弟の相続登記に向けての行動は、
疎遠になっていた姉弟の仲を近づけ、
"家族"の良さを再認識したかに思われた。
でも、心配性、良く言えば堅実な弟の心配が、
母にも伝染し、私を実家に返す話が
再び持ち上がってしまった。

うちの家族は、大きく分けると、
私だけが楽観主義で、他は皆、
心配症で堅実、加えて、悲観的、慎重・・
地に足がついていないような生活をしている私が
飢え死にしなかったのは、
そんな家族のお陰なのかもしれないが、
誰とも"合わない"という哀しさがある。

私は、早くに家族と離れて生活しているから、
家族に対して、理想を描いているかもしれない。
親にしてみれば、思い通りにならない娘に
どれだけ失望していることだろう。
子供は親の所有物ではない、と言い切れないのは、
親が心配する必要のないくらい、
経済的に自立していないからだ。
だからと言って、私の意思を無視して、
今の暮らしを捨てさせるというのは…。

離れて暮らす私に何かあったら、駆けつけるのが難しい、
だから、親と同居していた方がいい、という弟や母。
(そういえば、日本縦断の旅に出た時、
帰ってくるまで、親は泣いていたという)
手の届く近くにいたら安心、という考えだと、
子供は子供のままだ・・・と、
親になったことのない私は、なんとでも言う。

親には親の言い分があり、
家族って難しいものだと思う。
幾つになっても。

田舎の善悪

大学病院の給食(入院患者の)の職場は、
離婚した人が多かった。
資格や経験の無い人が手っ取り早く
就ける仕事だからか。
離婚し、地方(北海道では札幌以外の道内の
こともそう言う)から
移住している人も多かった。

その中の一人と話をしていて、
無免許運転は普通、と言う人がいた。
田舎では、そういう人が多かった、というのだ。
まさか公道でも無免許で運転していたわけではないだろう・・

またその中のもう一人に、
メガネを忘れて困っていたので、
私の予備のメガネを貸したことがあった。
度が合いオシャレなメガネだったので、
彼女は気に入ったようだった。
でも、数日経っても返してくれない。
返してと言ったら、「使っていないんでしょ?」と
そのまま貰う気でいたのだ・・

田舎では、そんな堅い事言わずに、とか
このくらいいいだろう、とか、
仲が良くなり、近い関係になると、
まーまー許してよ、みたいな所がある。
良く言えば、"鷹揚"と取れる中に、
"下賤"と感じるものがある。
田舎は、おっとりとしていて善の集団のようで、
実は、規律や常識を無視した悪も潜んでいる。

金の茶碗を盗んだ犯人の出身地、
水原一平の出生地を見た時、思ったのは、
彼らは、そういう土地、そういう親に育てられ、
悪党というのではなく、
善悪の判断基準が、違っているのだと思った。
田舎でも、親に厳しく教えられた人は、
善悪の判断が大きくズレていることはない。

その人がどんな人になるか、
育った環境と親の影響は大きい。

シンデレラの靴探し

やっと足に合う白いスニーカーが見つかった。
春に黒いスニーカーは重過ぎるので、
白い色を探していた。
でも22センチというのはなかなか無い。
今日、やっと希望通りのを見つけて即買いした。

靴屋の店員さんから、衝撃的なことを聞いた。
メーカーが、22センチの靴を作らなくなる!
身長と同じように足も大きい人が増え、
22センチが売れなくなっているのだろう。
足の大きさは、優性遺伝?
遺伝で小さい足の人だっているだろう。
今までだって、22センチを見つけるのは大変だった。
これからは、キッズコーナーで
探さないとならないんだろうか。
私が野菜だったら、規格外ということで、
店頭に並ばず、動物の餌にでもなっただろう。
人間で良かった。

少子化で日本人の年令構成比率が
昔と大きく変わってきて、
学校が無くなったり統合したり、
国が年金の納付年令を上げようとしていたり、
いろいろな分野で、現状に合わせて変えようとしている。

今、白髪のままだと違和感を感じる風潮も、
あと10年もしたら、高齢者が激増していて、
白髪は染めないというのが、
普通になっているかもしれない。
年金の不安や不公平も、10年後には、
なーんだこんな方法があったのね、
というふうに変わっているかもしれない。
自然も人間も変化している。
異常気象という言い方だって、、
しなくなっているかもしれない。

これまで経験したことが普通、と言う感覚を捨て、
変化を楽しみ適応していける人間になりたいものだ。

メンバーは3人

昨日は、澄んだ青い空。雲ひとつ無い空より、
大きな雲が流れる青空の方が好きだな、と思いながら
外出しようとしたら、珍しく弟から電話があった。
大人になってから、というより、
弟が結婚してからは会うことも
話すことも少なくなっていた。

4月からの相続登記の義務化で、実家の土地の半分が、
亡くなった父の名義のままになっているので、
長男である弟が手続きをしようと動き出していた。

”相続”というのは、親には話しにくい話題だ。
元気な親に話すのも躊躇われる話なのに、
もし入院していたり、施設に入っていたりしたら、
話し出すことなんて、無理だろうと思う。

弟は、手続きで必要な話を
姉二人にそれぞれメールをするのは大変だから、
「LINE」を使おう、と言った。
三人ともアプリは、入れている。
弟はあまり好んで使っていなかった。
私も好きではなく使っていないので
友達追加する方法さえ、よくわかっていなかった。

"三人で話す"ということは、
グループを作ればいいんだろうと思い
『(名字)チーム』と名前を付けて作ってみた。
そこに姉を入れ、弟を入れることに成功した。
早速弟から、ギネス記録に登録されそうなくらいの
長い長い説明というか話が入いり
姉弟三人は同時交流した。

子供の頃、私がよく袖を引っ張っていたので
弟のセーターの襟元が伸びていた、そんな写真が残っている。
あの"か弱い"弟は、おっさんになり、私も歳を取り・・
「LINE」に作った『〇〇チーム』は、
これから母の近況なども報告し合うだろう。
別々に住んでいても、"ワンチーム"になった気がした。